窓をあけておく

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恩師がいない

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この前のブログで教職科目の先生たちを思い出していて、自分には恩師らしき恩師はいないなあと思う。そもそも恩師がいると言える人ってどれくらいいるんだろ*1

 

学部で卒論を見てもらったT先生は今も哲学対話をやるうえでも影響を受けたし今でもお世話になっている。ただ大学院は他大に出て、研究指導的な関係を結ばなかった点で恩師感が薄い気がする。大学院で5年ゼミで指導をしてもらったM先生からもたくさん教えていただいたし教員をするうえでも先生の言葉*2を思い出すことも多い。ただゼミでの研究の内容からは遠く離れてしまったし博論も書けなかったので、恩師と呼ぶのは躊躇してしまう感がある。

あとどちらの先生も恩師的な呼ばれ方や慕われ方をなんとなく嫌いそうでもある。

 

高校以前はお世話になった先生はもちろんいるものの、恩師という感じはない。ときどき卒業後も学校の先生も連絡とったり、会ったり、母校に遊びに行ったり、みたいな人がこの世界に存在しているのはわかるけれど、なんでそんなふうな関係を先生と結べるのかは私にとっては永遠の謎かもしれない。

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ただ、こうやって書いていてふと思い出したのは中学校の卒業式のこと。

私は訳あって中3の途中から親とは別居をして祖父母との3人暮らしをしたんだけども二世帯的な作りの家に住んでいたので自分の分の食事の用意や洗濯は自分でやってた。学校の一部の先生にはそういう事情を話してはいてときどき声をかけてもらってたんだけど、それでも特に深く困ったことを相談するような先生はいなかったと思う。それでも卒業式を終えて近くの公園で卒業生がワイワイ集まるところに3年で担任をしてくれた先生が来て、少し会話をして握手をしたときに(「よく頑張ったな」的なことを言ってもらったんだっけ。)卒業式本編では泣かなかったのに、泣いてしまったんだよな。このエピソードをもって恩師だとは全く思わないけど、中学生の自分にとって自分の事情や苦労を知った大人からの握手や声かけというのはなんだかハートフルなものだったということは確かだ。

 

自分も今は教員になって、誰かの恩師になりうる側になっている。誰かに恩師として慕われることは甘美な雰囲気もあるけど、やっぱりそれだけ他人の人生に影響を与えうるという意味で緊張することでもある。

はたして今後、私は誰かの恩師になることがあるのだろうか。

そのために今の仕事をしているわじゃあるまいし積極的にそうなりたいとは決して思わないものの、誰かにとって私との関わりがときどき思い出されたり、それを思い出すことで励まされたりしてくれたらいいなとは思う*3

 

今の勤務校の卒業式は今月後半。ここに勤めるようになってからこれまでの数年間は卒業式は他の仕事が被っていたり、そもそも自分が授業を持っていない学年なので有給休暇取ったりで、一度も出席していない*4。でも今年からは授業で関わった学年の卒業だから、卒業式出てみようかなと思っていて、ちょっと楽しみにしてる。

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日が長くなってまいりました。

*1:東京で長く空手道場でお世話になった先生ははっきりと恩師である、だけど今回は学校の話なので省略。

*2:授業で話すことは徹底的に準備して原稿まで作って臨む。そのうえで当日教壇に立ったら準備してきたものは一旦捨てて、生徒たちの顔を見ながらその場で話していく。的な話はすごみがあった。

*3:東京で非常勤1年した高校の生徒さんからこの前オンラインでのおしゃべりに呼んでもらったりしたな。あれも不思議な体験だった。

*4:高専の卒業式/入学式ってそれくらいのイメージでいるけど自分が不真面目なだけだろうか。