窓をあけておく

窓を開けておくと妻にすぐ閉められます。

日記:2024年3月16日 妻さんたちの飲み会、文フリ東京の準備など

 昨晩、馬場靖人『〈色盲〉と近代 十九世紀における色彩秩序の再編成』のなかで非常に印象深い仕方で紹介されていた映画「リトル・ミス・サンシャイン」をAmazonプライムで見ようと妻を誘っていたものの、寝かしつけと同時に私が寝てしまう。そのときに、二人とも朝6時に起きれたら朝見ようと話していて、偶然にも6時ちょうどに目が覚める。妻はスヤスヤと寝ていたので映画は見なかった。

 午前中、子にしたいことを聞くと空港にある大型遊具の公園に行きたいと言うので、私と子は連れ立って公園へ。妻は車で買い物をしてから迎えに来てくれることになった。ベビーカーで歩いていくつもりだったけど、タイミングよく(一時間に一本しか電車がこない)最寄駅から電車が出るようだったので、一駅だけ電車に乗る。着いた先の駅前でショベルカーとダンプカーが工事をしていて20分くらいじっくり眺める。工事の人たちがこちらを見てニコッとしてくれるのがうれしい。

 公園は大賑わい。市長らしき人もお子さんを遊ばせていた。保育園のお友だちのお父さんとお子さんたちにも会ったし、職場の事務職員さんもお子さん連れていた気がするが声はかけなかった。子は、せっかくの大型遊具には目もくれず、持っていった砂場道具で黙々と砂遊び。子のおもちゃに入れ替わり立ち替わり他の子どもたちが引き寄せられ、親に引き剥がされたり、一緒に遊んだり、ちょっとした磁場ができていておもしろかった。買い物を終えた妻と合流し、さらにひとしきり遊んでから帰宅して、お昼ご飯。

ユニバーサルな遊具が特徴の公園の砂場

 夕方から妻が企画した保育園の同じクラスのお母さんたち+担任の先生の飲み会があり、私が子とお友だちのNちゃんの面倒を見ることになっていた。なので、午後の早い時間は自由にさせてもらい、30分歩いて喫茶店へ。今年になってから行くようになった地元のお店で、飲み物とケーキしかないシンプルな喫茶店。コーヒーとケーキを食べつつ昨日を一応の締め切りに設定していた5月の文フリ東京に向けてつくるZINE『哲学対話日記』(仮)のメンバーの原稿を読み、編集の際にどんな風に並べるかを考える。哲学エッセイもよいのだけど、ちょっとクサい文章になってしまって、読者目線では読みづらいことも多いと感じていて、日記なら生活のことと考えていることが自然に結びつくので、哲学対話という実践をちょっと違う角度から照らせないかなと思っている。ほかに、馬場靖人『〈色盲〉と近代 十九世紀における色彩秩序の再編成』の序章と、エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』の1,2章も読む。

 帰宅して飲み会に出かけていく妻さんたちを見送り、子とNちゃんと過ごす。風呂に入りギャアギャアと遊び、夕飯にカレーを食べ(後半は口に運んで食べさせ)、パウパトロールを見たり遊んだり。Nちゃんのほうが力強く遊ぶので子は遠慮しがちだったけどそれでも途中でわざわざ「パパー、Nちゃんが遊びに来てくれてよかったねえ!」と話しかけてきたので楽しかったようだ。最近子はウンチは親と連れ立ってトイレでできるようになったのだけど、今日は自分で「1人でウンチする」「パパはNちゃんとあっちであそんでて」と言ってきて、気づかいがすごかった。ウンチは1人でできたが、お尻を私が拭いた。子は夕方の時点ですでに眠そうだったこともあり声をかけて20:30ごろ布団へ。絵本を読んでいるうちからウトウトしている。眠いの?と聞いたら「きゅうけいしてただけ」と強がったけど、結局電気消したら数分で寝た。Nちゃんは家ではかなり遅くまで起きてると聞いていて、今日も布団に入ってもかなり元気だったけど、電気を消したらおとなしくなって子の入眠から15分後くらいには寝てくれた。寝顔の写真を撮ってLINEで妻に送る。

 Twitterを開くと、映画館が障害を持つ人に対して「今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか」と合理的配慮を拒否されたことに対してかなりの注目が集まっている。ちょうど四月からの授業準備で「平等」について考えていて、合理的配慮のことも調べていたタイミングだったのでいろいろ考える。この手の問題への社会の側からの「わきまえろ」的反応は根深いけど、実際は法制度の改定のほうが進んでいて、4月からは公的機関だけでなく企業などの事業者にも合理的配慮の提供が義務づけられる。制度のほうが先に進んでいて、人間の側のアップデートが追いついていない。でもだからこそ先に制度を変えて、スタンダードを示すことに意味があると思う。*1

 深夜、ZINEの表紙デザインをお願いしていた方からお引き受けいただけるとのお返事。週明けにオンラインで打ち合わせまでさせていただくことに。繋いでくれたTさんに心から感謝。表紙は素敵なものになるに違いないので、あとは本文だ。4日ほど前に執筆メンバーではじめての顔合わせ会をZoomでやった。面識のない人たちもいるので自己紹介から始まり、今回の企画に思うことをつらつら話し合う。Tさんはこの企画はめちゃくちゃ乗り気なのだが、いざ自分の日記が本になり人に読まれることがうまく想像できず、できるだけ売れてほしくない、という趣旨のことを話してくれた。確かにそれはそうで、哲学対話にフォーカスするとはいえ、わざわざ自分の生活のなんでもない面もふくめてまとめて、だれかに有料で読ませるなんて、なんというかごうまんだし、恥ずかしい。その場では、学校で教員として哲学対話をしている人からも「できれば読まれたくない人はいるかも」と言った声も聞かれたのだけど、結局は、まあそれでもとにかく作ってみましょうか、ということには落ち着いたのだった。一応、今日が各自の日記の草稿の締め切りになっていて、googleドライブに続々と原稿が集まっている。日記を眺めたり、週明けの打ち合わせでデザイナーさんに説明するための資料を用意していたら、妻たちが二次会に向かったとの連絡を受けた。子もNちゃんもスヤスヤと寝てくれている。田舎なので終電は21時台でとっくに終わっているので、帰りの時間は読めない。妻を待つのはやめて自分も布団に入った。

 

 

 

ーーー

というわけで、5月19日(日)の文学フリマ東京38に出店することになりました。はじめてのZINE『哲学対話日記』(仮)をつくります。執筆者たちが、それぞれ、哲学対話(あるいは哲学対話にかかわるなにか)をした日、その日一日についての日記を書いたアンソロジーです。人と集まって日常とは異なる空間をつくり始める哲学対話の時間は、現実にはそれぞれの日常生活とつながっています。あえて哲学(対話)と生活のつながりを日記として集めることで、哲学対話についても少し違った角度で捉えられるかもしれない、なんてことを去年の秋ごろに思い、紆余曲折ありながら、制作に至っております。哲学対話について知ってる人も知らない人も読める読み物になったらいいなと思ってます。がんばります。

 

bunfree.net

*1:と考えると、同性婚については一部の政治家は「議論が深まっていない」「国民の理解が先」みたいなことを言うわけだけど、そもそも実際は世論も同性婚賛成にむかっていることを差し置いても、人権の問題は先に制度の側が問題を認識し変えることで、人間の意識があとからついてくる、ということでもよいわけで、同性婚を認めない姿勢には何重にも問題があると思う。