窓をあけておく

窓を開けておくと妻にすぐ閉められます。

日記:2024年3月16日 妻さんたちの飲み会、文フリ東京の準備など

 昨晩、馬場靖人『〈色盲〉と近代 十九世紀における色彩秩序の再編成』のなかで非常に印象深い仕方で紹介されていた映画「リトル・ミス・サンシャイン」をAmazonプライムで見ようと妻を誘っていたものの、寝かしつけと同時に私が寝てしまう。そのときに、二人とも朝6時に起きれたら朝見ようと話していて、偶然にも6時ちょうどに目が覚める。妻はスヤスヤと寝ていたので映画は見なかった。

 午前中、子にしたいことを聞くと空港にある大型遊具の公園に行きたいと言うので、私と子は連れ立って公園へ。妻は車で買い物をしてから迎えに来てくれることになった。ベビーカーで歩いていくつもりだったけど、タイミングよく(一時間に一本しか電車がこない)最寄駅から電車が出るようだったので、一駅だけ電車に乗る。着いた先の駅前でショベルカーとダンプカーが工事をしていて20分くらいじっくり眺める。工事の人たちがこちらを見てニコッとしてくれるのがうれしい。

 公園は大賑わい。市長らしき人もお子さんを遊ばせていた。保育園のお友だちのお父さんとお子さんたちにも会ったし、職場の事務職員さんもお子さん連れていた気がするが声はかけなかった。子は、せっかくの大型遊具には目もくれず、持っていった砂場道具で黙々と砂遊び。子のおもちゃに入れ替わり立ち替わり他の子どもたちが引き寄せられ、親に引き剥がされたり、一緒に遊んだり、ちょっとした磁場ができていておもしろかった。買い物を終えた妻と合流し、さらにひとしきり遊んでから帰宅して、お昼ご飯。

ユニバーサルな遊具が特徴の公園の砂場

 夕方から妻が企画した保育園の同じクラスのお母さんたち+担任の先生の飲み会があり、私が子とお友だちのNちゃんの面倒を見ることになっていた。なので、午後の早い時間は自由にさせてもらい、30分歩いて喫茶店へ。今年になってから行くようになった地元のお店で、飲み物とケーキしかないシンプルな喫茶店。コーヒーとケーキを食べつつ昨日を一応の締め切りに設定していた5月の文フリ東京に向けてつくるZINE『哲学対話日記』(仮)のメンバーの原稿を読み、編集の際にどんな風に並べるかを考える。哲学エッセイもよいのだけど、ちょっとクサい文章になってしまって、読者目線では読みづらいことも多いと感じていて、日記なら生活のことと考えていることが自然に結びつくので、哲学対話という実践をちょっと違う角度から照らせないかなと思っている。ほかに、馬場靖人『〈色盲〉と近代 十九世紀における色彩秩序の再編成』の序章と、エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』の1,2章も読む。

 帰宅して飲み会に出かけていく妻さんたちを見送り、子とNちゃんと過ごす。風呂に入りギャアギャアと遊び、夕飯にカレーを食べ(後半は口に運んで食べさせ)、パウパトロールを見たり遊んだり。Nちゃんのほうが力強く遊ぶので子は遠慮しがちだったけどそれでも途中でわざわざ「パパー、Nちゃんが遊びに来てくれてよかったねえ!」と話しかけてきたので楽しかったようだ。最近子はウンチは親と連れ立ってトイレでできるようになったのだけど、今日は自分で「1人でウンチする」「パパはNちゃんとあっちであそんでて」と言ってきて、気づかいがすごかった。ウンチは1人でできたが、お尻を私が拭いた。子は夕方の時点ですでに眠そうだったこともあり声をかけて20:30ごろ布団へ。絵本を読んでいるうちからウトウトしている。眠いの?と聞いたら「きゅうけいしてただけ」と強がったけど、結局電気消したら数分で寝た。Nちゃんは家ではかなり遅くまで起きてると聞いていて、今日も布団に入ってもかなり元気だったけど、電気を消したらおとなしくなって子の入眠から15分後くらいには寝てくれた。寝顔の写真を撮ってLINEで妻に送る。

 Twitterを開くと、映画館が障害を持つ人に対して「今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか」と合理的配慮を拒否されたことに対してかなりの注目が集まっている。ちょうど四月からの授業準備で「平等」について考えていて、合理的配慮のことも調べていたタイミングだったのでいろいろ考える。この手の問題への社会の側からの「わきまえろ」的反応は根深いけど、実際は法制度の改定のほうが進んでいて、4月からは公的機関だけでなく企業などの事業者にも合理的配慮の提供が義務づけられる。制度のほうが先に進んでいて、人間の側のアップデートが追いついていない。でもだからこそ先に制度を変えて、スタンダードを示すことに意味があると思う。*1

 深夜、ZINEの表紙デザインをお願いしていた方からお引き受けいただけるとのお返事。週明けにオンラインで打ち合わせまでさせていただくことに。繋いでくれたTさんに心から感謝。表紙は素敵なものになるに違いないので、あとは本文だ。4日ほど前に執筆メンバーではじめての顔合わせ会をZoomでやった。面識のない人たちもいるので自己紹介から始まり、今回の企画に思うことをつらつら話し合う。Tさんはこの企画はめちゃくちゃ乗り気なのだが、いざ自分の日記が本になり人に読まれることがうまく想像できず、できるだけ売れてほしくない、という趣旨のことを話してくれた。確かにそれはそうで、哲学対話にフォーカスするとはいえ、わざわざ自分の生活のなんでもない面もふくめてまとめて、だれかに有料で読ませるなんて、なんというかごうまんだし、恥ずかしい。その場では、学校で教員として哲学対話をしている人からも「できれば読まれたくない人はいるかも」と言った声も聞かれたのだけど、結局は、まあそれでもとにかく作ってみましょうか、ということには落ち着いたのだった。一応、今日が各自の日記の草稿の締め切りになっていて、googleドライブに続々と原稿が集まっている。日記を眺めたり、週明けの打ち合わせでデザイナーさんに説明するための資料を用意していたら、妻たちが二次会に向かったとの連絡を受けた。子もNちゃんもスヤスヤと寝てくれている。田舎なので終電は21時台でとっくに終わっているので、帰りの時間は読めない。妻を待つのはやめて自分も布団に入った。

 

 

 

ーーー

というわけで、5月19日(日)の文学フリマ東京38に出店することになりました。はじめてのZINE『哲学対話日記』(仮)をつくります。執筆者たちが、それぞれ、哲学対話(あるいは哲学対話にかかわるなにか)をした日、その日一日についての日記を書いたアンソロジーです。人と集まって日常とは異なる空間をつくり始める哲学対話の時間は、現実にはそれぞれの日常生活とつながっています。あえて哲学(対話)と生活のつながりを日記として集めることで、哲学対話についても少し違った角度で捉えられるかもしれない、なんてことを去年の秋ごろに思い、紆余曲折ありながら、制作に至っております。哲学対話について知ってる人も知らない人も読める読み物になったらいいなと思ってます。がんばります。

 

bunfree.net

*1:と考えると、同性婚については一部の政治家は「議論が深まっていない」「国民の理解が先」みたいなことを言うわけだけど、そもそも実際は世論も同性婚賛成にむかっていることを差し置いても、人権の問題は先に制度の側が問題を認識し変えることで、人間の意識があとからついてくる、ということでもよいわけで、同性婚を認めない姿勢には何重にも問題があると思う。

日記: 2024年2月24日 広島大学訪問 「そう考えると、「啓蒙」とでも言いたくなる側面がP4Cの普及にはどうしても付きまとうし、そのこと自体の問題性をもっとちゃんと考える必要がある。」

三連休の中日、7時に起きていそいそと荷造り。子と妻も起きてきて、子の身支度や朝ごはんもわりと順調にできて、8時過ぎに出発。広島大学で子どもの哲学の論文集刊行記念のセミナーがあると聞き、子どもを連れて行ければ、妻も1日フリーにできるし、対面で人にお会いすることでつながりもできたらいいなとの想いで子連れで行ってみることにしたのだった。車で30分で新幹線駅、そこから30分で広島駅、さらに在来線で35分で西条駅まで。子はわーわー言ってはいたが、大好きな新幹線に乗れたので概ね満足げ。西条からは翌日の大学入試の下見らしき人たちで混み合うバスで15分くらいかけて大学方面へ。事前に子連れで伺うことなどを主催の川口さんにメールでご相談していたら、登壇者の方々との事前のランチにもお招きいただいたので、11時に待ち合わせ場所の「隠れ家カフェ」に着く。はじめましての方々にご挨拶したり、豊田さんにお久しぶりですのご挨拶をしたり、土屋さんに以前某所での忘れ物のハンカチを届けていただいたり、家から持参した焼きおにぎりを子どもの口に運んだりしつつ、みなさんと楽しくランチ。だが子は早々に自分が楽しめない場であることを察したためか、せっかく渡した新しいトミカ(トーイングトラクターとタラップ車とタグカー)でもあまり遊ばず、1人で店の外に出て小声で「ママがよかった。おうち帰りたい」と言い出して焦った。結局、セミナー会場の大学図書館近くには遊べるところがあるらしいよと誘ってなんとかその気になってもらい、危機を脱した。と思ったが、その矢先、抱っこして会場に向かう途中でオムツからオシッコが漏れていたらしくこのズボンと私の服が濡れた。幸い、妻からの不要論を押し切り、替えのズボンを持ってきていたので被害は最小限(着ていたセーターを脱いで乾かした)で済んだ。セミナーは登壇者含めて20名くらい。大学内のカフェスペース貸切にしてあり、隅っこで川口さんが用意してくださったマットを引き、ブロックや塗り絵で子どもを遊ばせつつ話を聞く。

なぞのヒーローを見つめる

 今回の主題は、土屋さん、豊田さん、川口さんが執筆された『対話的教育論の研究 子どもの哲学が描く民主的な社会』である。全員がぐるっと自己紹介をして、執筆者の方からの担当章の説明、コメンテーターお二人からのコメント(哲学対話を専門としない視点からの専門的なコメント、とてもよかった)、それを受けての全体での討論と進んだのだけど、そのあいだぼんやりといろんなことを考えていた。

 土屋さんや豊田さんの論考はガート・ビースタの議論から大きな影響を受けたものである。土屋さんはビースタによるP4Cの「道具化」批判を経て、ラディカルに問い合う哲学の実践としてP4Cを再解釈しようとしている。豊田さんは周縁化された人の「包摂」を重要な価値として認めたうえで、ビースタのtransclusionという概念をもとに境界そのものを揺さぶる動きの必要性を論じている(論文中にある図がとてもよい)。どちらももちろん非常に刺激的な議論だ。お二人以外にも、最近の国内のP4C研究では(というよりも教育哲学一般にも言えるかもしれないけれど)、ビースタによる批判の影響があると思われる議論が増えている。それは土屋さん、豊田さんの論考に見られるように、よりラディカルに、哲学のもつ批判的な機能(「エッジ」)を活かす実践としてP4Cを解釈する方向性に向かうようでもある。また、川口さんの論考はビースタへの依存度は少ないものの、社会科教師のもつ「教科観」という容易には揺さぶりえないものの再構築という意図に対してP4Cを適用しようとしている点で、P4Cのラディカルな側面に期待をかけていることにはあまり変わりがないと思う。こんな風にして、国内のP4C研究は、ビースタ以前以後のようにしてかなり理論的前提が変わってきているようにも思う。果たしてこれは「国内の」と限定できるのか。あるいは、ビースタを経ないP4C研究はありうるのか、という点はちゃんとサーヴェイして、研究してみる必要がある。

 そんなことを考えながら話を聞きつつ、私が哲学対話の導入のために伴走させてもらっている大分県の高校の先生たちのことを考えていた。そこでは、校長らのトップダウンで「探究」の時間に哲学対話をすることが決まっていて、しかもそれを担任や副担任の先生がファシリテートすることになっている。私は事前の計画の立案や当日のサポート、また事後のふりかえりでのアドバイスなどを担う。この仕方で数年続けてきて、最近むしろ痛感しているのが、このようなやり方は、特に哲学対話的な授業スタイルに抵抗感や苦手意識のある先生にとっては先生方の培ってきた経験や専門性、あるいはプライドを大きく否定するものになっているのではないか、ということだ。どうしても、授業後のふりかえりでは、私の目から見れば、もっとラディカルに、哲学的に、生徒に対して問える、あるいは教師としての構えを捨てて生徒の話を聞ける、と思える場面が多々あるために、そのことを指摘する。でもこれは先生方に、先生方が日々形成してきた教師観、教育観を問い直すことを、急に外からやってきた(なにも知らない)人が求めることに他ならない。ビースタの話とさらに絡めるなら、学校サイドとしては、いま求められている思考力教育や対話型教育に対応するために「道具」として哲学対話の力を借りようとして、それでもうまくファシリテーションができなくて苦しんでいるのに、ビースタ以後のP4Cはさらに「道具化」ではダメで、よりラディカルなものとしてのP4Cを解釈することを求める。でも、そんな風に学校とはなにかを問い直すことが大事なんだというのは、すごく学者的で、権威的な物言いになってしまいがちで、現場でいま営まれている生徒さんと先生たちとの関係やかかわりへのリスペクトを欠いてしまいかねない。そう考えると、「啓蒙」とでも言いたくなる側面がP4Cの普及にはどうしても付きまとうし、そのこと自体の問題性をもっとちゃんと考える必要がある。私もP4Cをやるということは学校という枠組み、今の教育のあり方を問い直すことにつながるし、そうあってほしいと思っている。でも、それを実際に、哲学対話を取り入れようとしている学校の先生や生徒さんたちとどうやっていくのは難しい。P4Cはそもそもが教育プログラム的な発想があり、行政的、制度的な上からの視点が含まれているように思う。一方で、国内の哲学対話実践の利点は、「哲学カフェ」という草の根的なボトムアップの実践がたくさんあり、その実践知も共有されつつあるということ。だから、もっと学校で哲学対話をするということについても下からの実践や波及のようなあり方にも目を向けてみたい。こんなことを考えつつ、最後に自分の発言機会が回ってきたときも、短くそんなことを話したつもり。

 (さらに言うと、最近出版された『子どもの問いではじめる!哲学対話の道徳授業』との対比でも考えていたことがある。この本は、研究者も書いているけれど公立校での道徳教育に哲学対話を取り入れている先生方が多く関わっている本。いわば道徳の学習指導要領の目的を達成するために哲学対話を「道具」として意識的に取り入れている。冒頭部分高宮さんによる終章ではそのことを意識して、これまでの哲学対話の研究者による紹介の仕方は現在の学校教育そのものへの疑いという視点が強すぎたことについて批判的に言及していると読める箇所*1があったのが印象深い。私としては先にも書いたように哲学対話のラディカルなポテンシャルにやはり期待してはいるのだけれど、道徳の授業で(無理のないようにアレンジしながら)哲学対話を、みたいな取り組みもすごく大切だと思っている、けれど、その両側面を押すことに矛盾があるかもしれない。トップダウンボトムアップみたいに簡単に二項対立にするものではないのかもしれないけれど、一旦二つに切り分けて論じてみたくもなる。そのあたり、ビースタの影響を受けて今後論じていく日本のP4C研究はどう考えていくのだろうか。*2  ) 

 せっかくのセミナーなのにモノローグっぽい記憶ばかり書いているのは、会場の隅っこにいて子どもを遊ばせていたので質疑や議論が十分に追えなかったからでもある。哲学対話をあまり経験されていない教職者や研究者の方ならではの大切そうなやりとりはいくつかあったはずなのでそこは残念ではある。子連れ参加にはやはり難しさはあった。それでも覚えているのは、参加者の方には最後に、「哲学対話とふつうの対話の違いはなんなのか、がまだよくわからない」といったこと発言があったこと。この疑問はよく聞かれる問いで、なおかつ私からすれば疑似問題的なものなのだけど、あらためて、哲学対話やP4Cを専門としていると名乗っている「私たち」の側が不用意に「哲学対話」という言葉を使っていることの問題性を感じた*3

広島大学に蹴りを入れる

 セミナー終了後、西条駅までバスで戻り、土屋さんとコメンテーターをされていたAさんIさんとおしゃれなカフェで延長戦のおしゃべりをする。広島大学でP4Cといえばタカラドバシという偉人がいるんだよという話を土屋さんと力説したり、文脈はよくわからないタイミングで土屋さんにカンティアンとして扱われたり、した。子は、もう眠くて疲れていただろうけど、場所が変わるとちょっと体力が復活するのか、そこで少しアイスを食べ、カフェスペースを動き回り、ハッスルしていた。

 とはいえさすがに疲れたので、一足先に失礼して、電車で広島駅へ。車内でついに子が寝落ち。広島駅で一度改札を出て、寝て重くなった子(意識を失った状態の人は意識があるときよりも重い)を抱えて、妻からのリクエストの「むさし」のおむすび弁当を買う。行きはのぞみだったけど、帰りはさくらに乗る。新幹線30分、そして車で30分。車内では子のリクエストで最近ハマっている「ドライブヘッド」の主題歌SUPER☆DRAGONの「ワチャ-ガチャ!」をエンドレスリピートした。帰宅して、妻が作ってくれたおかずとお弁当を食べ、ビールを飲む。いろいろあった一日について話す。順番に風呂に入り、子が先に寝て、22時過ぎには妻と私も布団に入る。いろいろあった一日だったので、久しぶりにブログを書きたいと思い、少しこの日記を書き始めてから寝た。

youtu.be

*1:「哲学対話を推進している哲学研究者の中には、道徳科が学校の教育課程に位置づけられていることについての理解が不十分であったり、学校教育における道徳教育そのものに懐疑的な考えをもっていたりする方もいるからです。「特別の教科」であるとはいえ、教科の一つでもある道徳科の学習として哲学対話を位置づけていくためには、道徳科の目標を理解し、その目標に反しない形で哲学対話を取り入れる必要があります」(p. 162) 正確に引用を読み返してみると、私が書いたような読み方や理解の仕方が合っているかは怪しい。でも、それも含めて議論のために残しておきます。

*2:この括弧内の記述はブログ公開後に追記しました。2/25 20:25

*3:小川 泰治 (Ogawa Taiji) - いつから「哲学対話」なんて呼ぶようになったんだっけ?:名称の定着をめぐって - 講演・口頭発表等 - researchmap

日記:2023年11月1日~15日 文フリ東京とか

1日(水)晴れ

授業一コマ。哲学対話を「幸せってどういうこと?」という問いでやる。あまり深い考えはないけれど、今期は学生さんに問いを立ててもらう時間を省略してしまっている。それでも対話の中で自然と問いや疑問に連なるものは出てくる。夕方のKさんたちとの勉強会も白熱した。「問い」の意味を考える。

3日(金)祝日

学校はオープンキャンパスだけど業務がないので有給取得。前日の夜の思いつきに身を任せて3人で秋吉台サファリランドへ。車で小一時間。駐車場に車を停めて歩いて入れるエリアへ。キリンも近くで見れるし、大きいカメやカンガルーなどは檻の中に入って触れ合うこともできる。カンガルーが目の前をぴょんぴょん飛び跳ねていくのが楽しい。子は昨年来たときよりも楽しそうでとてもよかった。夜、家で焼肉。妻が「人は直喩を使わずには会話できない」と言い出す。そこから「〜みたい」を使わずに会話することにしたけど別にできた。

カンガルーが触れる。触ったあとはよく手を洗う。
4日(土)

Sさんたちとたこ焼きパーティーの予定だったけど、諸事情で延期に。部屋の掃除などもしつつ家でだらだら過ごす。寝転がったときになんとなく目線に入った川上未映子『黄色い家』を読み始める。妻も調子が悪いみたいで心配。夜、結局たこ焼きが食べたくなり我が家だけでする。出来立てをSさんたちにも届けた。

5日(日)晴れ

宇部祭り」の日。この日だけ市バスが無料になるのでそれに乗り集合場所へ。去年に続き、保育園のみんなでパレードを踊りながら進む予定になっている。集合からスタートまでかなり時間があることを去年知ったので、集合には遅刻覚悟で先に少しお祭りを回る。そこで子が1500円の希少トミカ(ヤマトかなにかのトラック)を欲しがり大もめ。泣き喚き、抱え上げ、無理やり降り、トミカまで走り戻り、を繰り返し、なんとか200円のタクシー2台で納得していただけた。そのあとで集合場所でさらに待ち、私は10月の運動会で来たカッパの衣装になり、パレード。つつがなく終わった。

解散後はお祭りエリア内の商店街にあるラーメン屋へ。宇部ラーメンの発祥らしく、かねてより入ってみたかったところ。ただ、混んでいる。それでも良いと並んでいたら、私たちをすり抜けて店に入って行くおじさんあり。予約が何かか、と思ったらそういうわけでもないみたいで、妻が怒って店内に入り、順番を抜かしていることを伝え、私たちと代わらせた。おじさんたちは悪い悪いという感じでこちらに声をかけつつ、静香には「おたく、かかあ天下やろ」と失礼なことを言ってきた。その間、私は後ろで見ているばかりで大変よくなかった。席につき、ラーメンを頼んだのだけど全然来ない。前の前の前のお客さんたちにも来ていないみたい。店内は高齢の3名の店員さんで回っているが、一人はよく見るとほぼ立っているだけでなにもできていない。ビールだけ飲んで待つが、あとから先ほどのおじさんたちが入ってきて、私たちの注文に割り込むようにして「お母さん、ビール」「お母さん、なにかツマミない?」「一味ある?」とイレギュラーなことばかり頼み、さらにオペレーションを混乱させる。禁煙と書いてあるのにタバコを吸い始めタイミングでビール代だけを払い店を出た。歩いて家のほうに戻り別のラーメン屋に行くことに。しかし15時を過ぎており、夕方まで閉まっている。疲労。家に一回帰り、17時に合わせて再度訪問し、やっとラーメンにありついた。

6日(月) 雨 陶芸家シャツ

保育園経由で出勤。午前は授業準備など。午後は準備2コマ。功利主義の授業、ちょっとつぎはぎだらけになってきてるか。終了後すぐ学校を出る。妻が発熱のため代わりにお迎え。夜、岡真理『ガザに地下鉄が走る日』読了。すごい本だった。『彼女の正しい名前とは何か』も再読しなくては。

7日(火) 晴れ ロンTに薄いジャケット

保育園経由で出勤。車では子とはたらく車の歌を歌っている。授業がない日なのでちょこちょこ仕事。哲学カフェのつくりかたや臨床哲学のメチエなどを読んで先人たちの取り組みから学ぶ。午後哲学対話愛好会。少人数で青春について話す。おもしろかった。

寝る前妻と話していて思い立ち、習慣継続系アプリを2年ぶりにダウンロードし、「腹筋を30回する」に30日チャレンジすることに。前回は2021年に「何かしら書く」が6日目で終わっていた。

8日(水) 晴れ カーディガン

朝、週末に着たいので1年ぶりに星野源っぽい薄手のカーキのワークコートを出す。が、まだらな汚れを妻に指摘され落ち込む。洗濯してみることにする。夕方帰宅して確認したところ、コートはきれいになっていたので安心。でも一年ぶりに着てみるとなんだか違和感がある。かっこつけすぎてしまっている気がする。。それを伝えると「自意識が邪魔をする〜♩」と歌ってきた。私が2年前くらいに作った歌のサビだ。夕飯を食べてるときに発注していた名刺が届く。ちょっと紙が分厚い。

10日(金) くもり

朝5時ごろから目が覚めてしまう。7:40の飛行機で東京へ。車は午後妻と子が使うので、久しぶりに電車で空港に行った。それでも30分くらいで家から空港に着くので便利。機内では古田徹也『謝罪論』を読み始める。読んでいると、機内では無数の「すみません」という儀礼的な謝罪や言葉にしないお辞儀や目配せが飛び交っていることに気づく。私も何度かすみませんと小声で言った。古田さんはプロローグで子どもに「ごめん」という言葉を教えても、「ごめんなさいごめんなさい」と適切に意味を理解せずに(その場をただ乗り切るために)使うようになる、ということを書いていた。ただ、うちの子は、少し前から私たちを叩いたりしたときに「ごめんは?」と聞くと、「ごめんしない!」と拒むことが多い。「ありがとうは?」と聞くとわりと素直に言えるのに、ごめんが言えないのを見ていると、むしろうちの子はかなり強めに、自分の非をはっきり認めることとして「ごめんなさい」の意味を理解しているのかもなあと思ったりする。

東京ではKさんの勤務する某高校へ。ひがしくも、ひがしくも、と覚えていた最寄駅の駅名は、しののめだった。教養足りず。MさんOさんと授業見学。倫理の授業で自然なかたちで対話が始まる様子、またプロジェクト型の授業で高校生が無茶ぶりをされ哲学対話の企画を考え、すぐ次の時間に中学生にそれを実施し進行役までする様子などを見せてもらい、感服する。勤務先になにを持ち帰れるだろう。その後今度出る『もし友だちがロボットだったら?――哲学する教室のつくりかた 30の授業プラン』、通称「もしロボ」の体験会。Gさんらも加わり、有志の生徒さんたちとともに本の中の最初のエピソード「イス」を考える。テキストのポテンシャルを感じた。刊行が楽しみ。終了後みなさんと少し食事をしてから妻の実家へ。妻と子は夕方東京に着いたあと、妻は会食の予定があるので、空港でお義母さんに子をお預けしていたのだった。子にとっては保育園以外ではじめて私たち親と長時間離れて過ごす時間。心配していたけれど、おじいちゃんおばあちゃんと仲良くできていたみたいでほんとうによかった。21時ごろ私は到着し、寝かしつけからして22時ごろには寝てくれた。妻が24時ごろ帰ってきて、一緒に寝た。

11日(土) 曇り 白の植本一子さんスウェット「What would you do?(あなたならどうする?)」って書いてある

妻は先に文フリ会場へ。私はお義父さんと子と3人でラーメンを食べてから、子を連れて流通センターへ。駅でユニ森(UNITÉの大森さん)さんに会い、一緒に会場へ。文フリは大変盛り上がっていた。Aさんのブースで私も参加した哲学エッセイの本を受け取ったり、そこでカレーZINEを売っていたカレー哲学さんにご挨拶したり、EさんやKさんと会っておしゃべりしたり、Kさんの日記本を買ったり、SさんKさんNさんに会ったり、Iさんとお連れあいと挨拶したりした。こうやっていろいろ動けたのは子が途中2時間くらいベビーカーで寝てくれたから。助かった。自分が来年5月に参加して本を出すイメージはまだつかない。16時過ぎに妻も一緒に帰路につく。たくさんブースに人が来てくれたらしい。帰宅後すき焼きでお義父さんと子の誕生日祝い。寝る前に妻に文フリ出るならちゃんと売れる本を作らないとダメだと強めに言われる。黙っているとさらに詰められ、さらに黙っているといびきをかいて寝だした。

文フリ戦利品は、こんな感じ。「私のLife Vol. 1」「しばり日記 散歩/通勤通学」「はてなブログ文学フリマ本 わたしがブログを書く理由」「カレーZINE vol.3 カレーと遊び」「立ち止まる、それでも」「セイジドウラク Handbook Vol.1」(澤田記者にサインもらった!)、あと翌日妻にUNITÉで「みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに」も買ってきてもらった。

12(日) 雨模様、曇り スウェット

午前中、妻とは駅で別れ、私と子は、わざわざ車で一時間半かけて会いに来てくれたMさんIさんとお子さんと遊ぶ。が、子が午前中は機嫌が大変良くなくて、かなり苦戦する。遊ぶ予定だった屋内のアスレチック施設は飲食厳禁と言われたのに、直前でコンビニで買ったチュッパチャップスを口から出さないし、食べ終わったもあまり遊ぼうとしないし、しまいには公園内で私からも離れて逃げていき、「パパ、こっちこないで!」と叫ばれるし。でもあちらのお子さんとフリスビーをしながらポケモンの名前と技や乗り物の名前を叫びあうという遊びを始めたら、少し機嫌が上向きになってきて、おしゃれなハンバーガー屋でポテトを食べたら元気に。店内のキッズスペースでは仲良く遊んでいてかわいかった。結局、14時に私たちが空港行のバスに乗るところまで見送っていただいた。感謝。空港にはかなり早めに着いたのだけど、子はバスの中で寝て元気になったからか、むしろ寝足りないからか、「はやく、じゃるにのろうよ!!」とうるさい。ソフトクリームで機嫌をとってからベビーカーを預け手荷物検査。通過してもまだ1時間待つと思っていたらさらに30分出発が遅れる。キッズスペースで30分以上遊び、YouTubeを見せつつおにぎりを食べさせて30分過ごして機内へ。席は前方のプレミアムシートを取っておいたので子を膝に乗せても余裕があって快適だった、が、到着少し前に子がうんちをし、だいぶ臭かった。狭いトイレで慌ただしくオムツを変える。指が臭い。家に着いたのが19時30分ごろ。急いでご飯を炊いて風呂を沸かす。妻が作っておいてくれたカレーを食べて、風呂に入り、子を寝かしたのが21時30分ごろ。割と頑張った方だと思う。それから少し仕事をして、お茶を飲み、『黄色い家』を読む進めて、23時ごろ寝た。

帰りの飛行機に乗り込むところ。まだウンチしてない。
11/13(月) 若干の雨 今シーズン初めての星野源風コート

妻はまだ東京。朝もバタバタしながらなんとか保育園へ。内容詰め込みすぎで困った授業をして、すぐお迎え。それから空港で妻をお迎え。夜はビールとシュウマイ弁当で軽くこの週末の打ち上げ。

11/14(火) 晴れ ジーパンにグレーのスウェット

なぜ忙しい時期にこの予定を入れたのかわからない。午前中は保育園の保育参加。妻に譲ってもらって私が参加した。宇宙、太陽、山組(いわゆる年長、年中、年少)さんとバスに乗って出掛けて山道を散策。たくさん声をかけてくれて、大変だったけど楽しかった。とてもよい保育園だ。給食まで一緒に食べさせてもらう。私からすると薄味というか物足りなさもあったけど、むしろ非常に手間がかかっていて、とてもよい食事であることは伝わったのでよし。

『黄色い家』読了。ズシンとくる。

11/15(水) 晴れ 

子は保育園で11月生まれの子向けの誕生日会の日。前日から名前や年齢をいう練習をして準備万端と思っていたら朝の寝起きが悪く、私たちの手際も悪く、最悪のテンションで保育園に送る。実際みんなの前に出たら恥ずかしくて何も言えなかったらしい。仕事は細々とやることをこなす。来週の授業変更を学生に伝えブーイングをくらうなど。