窓をあけておく

窓を開けておくと妻にすぐ閉められます。

9月5日(日) 日本哲学プラクティス学会第3回大会に参加したので感想

昨日投稿した哲学プラクティス連絡会の話に続いて参加報告。

p4c-essay.hatenadiary.jp

 

日本哲学ラクティス学会とはなにか。

哲学プラクティスは、市民が自由に語り思索する自発的な活動です。この活動をさらに発展させ、より活発で意義深いものにするためには、対話と思考に関する多分野からの専門的な研究によって支援する必要があります。そこで、社会において深く対話する力と根本的に思考する力を伸長させ、それにより議論する文化を構築し、民主主義と市民参加の活性化に貢献することを目的として、「日本哲学ラクティス学会」を設立することにいたしました。哲学や倫理学、宗教学だけでなく、教育学、心理学、社会学等の幅広い分野からの人々が集い、現在および将来の哲学プラクティスのあり方を根本的に議論できる場となることを目指します。(学会HPの設立趣旨より。)

 

9月5日(日) 日本哲学ラクティス学会第3回大会

https://philopracticejapan.jp/meeting/

前日夜にも前日企画ワークショップがあったのだけれどそちらは参加せず当日だけ。

感想は自分が聞けたものについてだけ。

 

9:00 久島発表:ことばの排除性への反省を織り込んだ哲学プラクティス の可能性:バフチンの対話理論における道化に注目して

・スライドがめちゃくちゃ美しい(今なんの話をしているのかが分かりやすい)!参考にしたい。

バフチン。オープンダイアローグの本を読むと出てくるなあくらいで詳しく知らなかったので勉強になる。

・権威的な言葉を揺さぶる「愚者」や「道化」の事例として紹介されていたディベートにおける「クリティーク」の話も興味深かった。論点そのものを揺さぶるというのは確かに哲学プラクティスのもつ大事な視点。

・最後に学校の中に「休暇」的=アジール的空間として哲学プラクティスを位置付けるという提案もあって、そこもよくわかるところではある。ただこの辺りで私がつまづくのが、哲学対話はやっぱり主流の側ではなくてあくまでそれを批判したり、解体してみせるような側にあるのかな、ということ。私はそれでいいとも思うけど、そうすると「みんなに哲学を」みたいな理念とは変わってくるのかなあ。みんなが学校でいつも哲学するようになったら(いや、そんなことはないんだけども)、その哲学は「休暇」なのかな。

 

9:40 村瀬発表:哲学対話では何が起こっているのか?―「配慮・尊重」と「問い」の関係を考える―

・軽快なトーク(ご本人は「言い訳」と言っていた)。村瀬さんの授業みがある。
・事前に構想を聞いた時から(当たり前だけど)資料や引用も増えていて充実していた

・ご自身でも専門にしている分析哲学の手癖が出るかもと言っていたけど、確かにそんな感じはして、仮説や前提をもとに今、言えそうなところまできっちり語ってくれるのだけど、そこからが聴きたいんだよ!みたいなところで終わるもどかしさはある。

・探究と共同体の区別、思考とケアや実存の区別、哲学と共感や配慮の区別、いろいろ対応しそうな言われ方があって、そこが関係しているから哲学対話はおもしろい、というのはまさにそうで、でもその関係をどう考えるかは、私自身まだよくわからないし、意見も割れるんだろうなあ。

・質疑のとき、いわゆるBig  P的な問い(昔から哲学者たちが考えてきたような問い)も個性を表すのか、という話題があったと記憶しているのだけど、確かにどうなんだろうと。村瀬さんは「その人の問いや問題意識は、その人の見方を、他のものとは別の、独特の仕方で、表している」と発表されていて、「問い」単独というより、やはり「その人の問題意識」まで含めて、個性を表す何か、という感じが今はする。問題意識ってなんだろうね。

 

10:30 小川仁志発表:メディアにおける哲学プラクティスの実践例及びその課題について

・馬場発表と同時に聞こうと思ったのだけど、こちらに集中。

・今この業界でこの問題について話せる人はすごく少ない貴重な話。メディア出演のかかえる複雑さ・難しさの話があり、もっとたくさんの人が聴いて議論する価値のある話だった。

・山口ローカルの民放の夕方の情報番組に毎週月曜日コメンテーターとして出られていて、なんとなく月曜日はあ、小川さん出るぞと思ってテレビつけてたりする。哲学者というよりはほんとにコメンテーターという感じで、見ているこっちは「哲学者ならではの批判的コメントでお茶の間を凍りつかせてくれ!」とか思うんだけど、実際は色々な難しさや葛藤があり、あそこに座っているんだなあとしみじみ*1

・たくさんのクライアントがいてそことの交渉や妥協がたくさんあるという点では学校での哲学プラクティスと似ているかも。

・司会者も最後にコメントしていたけれど、課題がたくさんあるのに、それでもなんでテレビに関わることに取り組まれているんだろうという疑問は残る感じもした。学校と同じで依頼が来るからとも言えるけど、小川さんの取り組まれ方はその域を超えた熱量を感じるもので、モチベーションの所在は気になった。

 

11:10 土井発表:哲学研究発表会の学生・生徒による実践と、高大連携およびオンラインへの展開

・桂ノ口発表と同時聴きしていたのだけど、人数が少なかったのと質問したいことが出てきたのでこちらに集中

・筑波大といえば哲学カフェのイメージしかなかったけど、学生による自主研究発表会みたいなものも広がっているなんてすごい。聞き間違えでなければ、毎回30〜100名(!)の学生が参加しているらしい。

・でも、そういう試みについて学内の教員からは(発表の質が)「低い」という評価が出るのは哲学カフェと似てて興味深い。

・質問してみて分かったけど、哲学カフェに参加する層と研究発表したい層はグラデーションがある=必ずしも重ならないとのこと。そういう多様な関心に大学が応えているのがいいなと思った。学生にも様々なニーズがあり、複数の教員がいることでそれにそれぞれの仕方で応えていく、というのは大事。私はもっと誰かと協働することを学び、始めないといけない。

 

お昼

・松川発表は早々に抜けさせてもらって、買い物に行っていた妻と子を迎えに車で。帰宅して昼食。

・午後のワークショップ(高専での専門の教員とコラボした哲学対話の実践の報告があって、もちろん興味深かったのだけれど、4月に着任されてからすぐにそんなコラボレーションをしたなんて眩しすぎて、実際に話を伺ったら卒倒していたかもしれない)には参加せず、シンポの発表の練習をしたあと、登壇者の最終打ち合わせ。

 

15:15 シンポジウム:哲学プラクティス連絡会・哲学プラクティス学会共同企画 「哲学プラクティスの倫理」

・他の登壇者の方などへの共有の必要性もあって、早めに資料を作っていたので直前のバタバタがなかったのは、今での学会発表とは違う感じ。

・自分の研究や実践の成果を発表するというわけではなくて、課題や問題の共有という趣旨だったので、どんな風に受け止められるかわからないという心配も感じつつ。

 

山本発表:哲学カフェにおける倫理的課題

・連絡会の実行委員や倫理綱領の勉強会でご一緒させていただく中で、節々に伺っていた課題意識をはっきりと述べてくださっていた。今までみんななんとなくは思っていたり、わかっていたことを丁寧に整理をしてシンポジウムの場で言ってくださったことに感謝。

・“「哲学プラクティス」の現状の広がりを考えると、倫理的課題について実践者が個々で考えれば/対処すればいい、というフェーズはすでに終わっている“という話もグサッとくる感じ。山本さんは具体的にどうするかを懸命に考え、動いておられるからこそ話せる大切な提起。

・連絡会の大会実行委員長としてのお仕事、連絡会での発表、このシンポジウムのための事前ヒアリング、そして登壇者としての発表、めちゃくちゃ大変だったと思うので、聞いていた人全員Zoomの画面越しにスタンディングオベーションしていたに違いない。

 

私の発表:学校における哲学プラクティスの課題と実践者の職業倫理

ヒアリングの内容はもちろんなんだけれど、これまでたくさんの人と話し、教えてもらってきたことがあって、できた発表だという感触があって、そういう人たちの顔を思い浮かべながら発表準備をしていた。うまく誰かの想いもすくえていたらいいな。

・職業倫理ということで私がここで念頭に置いていたのは、実践者が必要以上に期待や責任を背負わなくてよいようにするために、あなたの職分はここまでですよと言えるための何かということで、それがうまく伝わっていたらいいな。

ヒアリングの場にいなかったのにメモだけで報告をするという微妙な立ち位置のなかで、学校での哲学プラクティスの課題をなるべく広く共有しようと頑張ってしゃべったので聞いていた人全員Zoomの画面越しに拍手をしていたに違いない。

ヒアリング内容が含まれているスライドだったので公開はしなかったけど、自分が整理して話した部分についてはブログにまとめておいてもいいかも。

小西発表

・哲学を含む文系学問が「社会的要請」に応えるための役に立つ何かであろうとしている動きについて説明をされた上で、哲学対話へ。哲学対話についての効用を語ることも「実際」にもたらされる効用に加えて、研究者にとっての就職先確保や研究費獲得などにも役に立つという誘惑があるという指摘。

・哲学プラクティスが単なる研究者のアウトリーチ活動に留まっているとすれば、そのことで生じる問題(「現場」の知恵の軽視)があるのではないか。役に立つことを押し出すあまり、現場にとっての想いや実情が軽視されてはいないか。本当に大事な問題提起。私や山本さんの実践ベースでの発表の背景にある構造を教えてもらったような感覚。

・ご自身は実践者ではなく哲学プラクティスの研究を専門とされているわけではないなかで、ご多忙の中丁寧に資料に当たってくださり、なかなか学会や連絡会で普段活動している人からは言いづらい大切な批判的視点を提起してくださったので、聞いていた人全員Zoomの画面越しにスタンディングオベーションしていたに違いない。

 

全体の討論

・チャットでたくさんの問いと提案が来ていて、すごくよかった。ものの、もう少し我々一人一人の問題提起についても具体的に考えられたら発表者としては楽しかったな。たくさんの提案や考えるべき問いがあって、それを共有するのはよかったのだけど、どれくらいそういう提案や問いの発生に、私たちの発表が寄与できたかどうか分からず、消化不良感はあった。

・何の質問か提案だったかちょっとはっきり思い出せないのだが、「必要悪」という言葉が出てきて、よく意味がとれなかったことは覚えている。哲学対話は必要悪ってことだっけ。(ここまで書いた後で「必要悪」って言葉を使ったのは知り合いだったことが発覚。文脈も哲学対話そのものについての話でもないし、必要悪という言い方もちょっと違ったかもとのことだった。)

 

参加し終えて

・自主的打ち上げの会があったようだけど、参加せず、子を寝かせたあとで妻とゆっくり食事。夏の終わりを感じながらビールを飲む。

・3日間哲学プラクティスのことを考えて真面目に過ごしたので全然関係ない話がしたくて、妻に言って雑談のスペースをやった。

 

*1:この前見たときは、翌日にカレーの特集で隠し味を取り上げるとのことで、番組終了20秒前くらいに「小川先生、カレーの隠し味を教えてください!」と振られ、じっくり溜めて「ここだけですよ〜!・・・・・・ラー油!」とキメ顔で言ったところで番組が終わる、という名コメンテーターぶりだった