授業は嫌いじゃないはずなのに、授業が始まるのが嫌でたまらない
安心してください。明日からの新学期に怯えているのは学生だけではありません。教員もです。今日慌てて授業準備をしていますが、疲れてしまって公園までペリカンを見に来ました。
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年10月8日
夏休みが終わる!夏休みが終わる!!夏休みが終わる!!!.
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年10月8日
..夏休みが終わる!?......夏休みが終わる!?!?..........夏休みが終わる???
.........夏休みが終わるうう!!!!
弊高専は夏休みが二ヶ月あって、明日から後期の授業が再開です。
二ヶ月もあったのだから前期のことをしっかり振り返って、計画をして、とすればよかったのだけど、ぐだぐだと急ぎではないことばかりにかまけてしまい、もう前日。前期のストックがあるとはいえ、自転車操業になりそうです。
こんな本たちを読んでいた。
「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
- 作者: ダグラスフィッシャー,ナンシーフレイ,Douglas B. Fisher,Nancy E. Frey,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: 単行本
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前期と後期で受け持つクラスが変わるので明日は初めましてのクラス。授業概要を説明して、コミュニティボールを作る予定。
新しくやってみること
前期にやらなかったこととして、
「授業をするうえでの約束事」を明示してみようかなと思っています。
教員が約束すること
- みなさんにとって意味のあることだと信じた内容を一生懸命授業します。
- 評価や授業の進め方を含むさまざまなことについて理不尽なやり方をしません。
- ほぼ全ての質問、正当なクレームや問い合わせについては真摯に対応します。
学生に約束してもらいたいこと
一緒に授業を受けている人にも、小川にも、迷惑をかけないでください。
もう少し積極的に言うと、
授業を真面目に楽しもうとしている人のジャマをしないでください。
すごく当たり前のことなんだけど、学校で授業を日々回しながら、上の3つを100%守り通せている自信は情けながらないのです。でも、それは学生さんも(他の教員が多かれ少なかれズルをしているのを)わかっているのではないかという気もする。だから、お互いに授業がなあなあになっていく気がする。
だからこそ、ちゃんと宣言をして、いけるところまでやってみて、最後に厳しい評価を仰ぐことにしようと思います。
「現代社会」
さて、後期からは「現代社会」という科目を持ちます。今日あらためて教科書を読んでいたのだけれど、あんまり楽しくやれるアイデアが湧いてこなくて、絶望感が募るばかりだった。どれも大切なことなのはわかるんだけど、どうやったら学びたいと思ってもらえるかがわからなくて混乱してしまう。
ただ、ちょっとヒントかなと思ったのは
扉部分にあったこの言葉。
現代社会を幸福、正義、公正の観点から考えよう
現代社会のあり方を考察するための枠組みとして「幸福」「正義」「公正」を理解するとさまざまな課題の全体像が見えやすくなる。
現代社会の教科書ですら具体的な出来事や語句や年号やが太字で目立つ。けれど、政治も経済も倫理思想も、ある意味では、(しばしばぶつかりあうような)私とあなたや、私たちとあなたたちの幸福追求をどう公正な仕方でバランスをとるのか、という問題として理解してみることができる。
こんな風に教科書は提案していると思う。幸福はまたなんとかよいとして、ここでの正義と公正がどういう意味なのかはよくわからないのだけれど、まずはそう捉えられれば、哲学対話だってできそうだし、身近なこととも結びつけながら考えられそうだ。
ただし、そうなると授業は、
そもそもなぜ自分だけ幸せであろうとしてはいけないのか?
とか、
他人のために自分が犠牲ならないといけないのはなぜか?
みたいな利己主義者の問いと対峙することになるのかもしれない。それはそれで楽しいけれど、普通社会科は、単なる他人を容赦なく蹴落とすような利己主義者(あるいはフリーライダー)であってはならない、という自明の前提から出発するものなのかもしれない。
とにかく始まるものは始まるのだ
まあ始まるのだ。
ちょっと追記。私もどうしようもなく嫌になったら授業を放棄したり、学校を休むかもしれません。そのときはよろしくお願いします。お互い上手に休みや息抜きを入れながらやっていきましょう。
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年10月8日
とにかくやってみましょう。
みんなで生き延びましょう。
あー、コミュニティボール切るための裁ちバサミを買うんでした。残念。