今週は哲学対話をたくさんしたので、それについて書こう。
現代社会の授業で「歳が変わると人として存在意義は変わるのか?」を考えた
労働問題および社会保障あたりについてうだうだと講義をしたあとで、ここにある『TEMPEST』の一部をみんなで読んで、問いを出して、考える、という流れ。
ビッグコミックスペリオールに2018年17号に掲載された読み切り短編で、平成51年の日本を舞台にしたディストピアものです
そこではかなり前(おそらく平成30年ころ)に、超高齢化社会対策として「最後期高齢者特区制度」という政策が導入されてします
すべての85歳以上の高齢者から「人権カード」をいったん回収して施設に収容し、(1)90歳までに自死サービスを受ける(相続税等優遇措置あり)、(2)90歳になったときに「老人検定試験」に合格することによって「人権カード」の返却を受けて社会に復帰する、(3)90歳で「人権カード」なしに施設外に放逐されるの3つから身の振り方を決めなくてはなりません*1
こういう世界観のディストピアものである。
問いはみんなに事前に出してもらったものを私があらかじめ6つに絞っておいて、そこから選ぶ。
選ばれた問いは、「歳が変わると人として存在意義は変わるのか?」 に。
テーマがテーマなだけに、やはりデリケートな内容の対話に。
学生さんたちは手を上げて話してくれる人も多し、一人一人すごく難しいテーマをとつとつと自分の表現を探しながら話していく感じがとてもよかった。。一方で、こういうテーマはむしろ発言をしていない聴く側の集中力や態度が試される、というか、そういう風に感じる場面もあった。
マンガを読んで~、というのは学生さんたちにとって引きのあるものでよいのだけど、このマンガでそれを続けるかどうか、は悩ましいのです。
倫理の授業で生命倫理について「デザイナーベビーは幸せになれるのか」を考えた
前期にもやった共同研究ベース*2の授業をする。
英語で言及されるとうれしい。 https://t.co/R0tYc8AFDT
— おがぢ🌧️ (@ogadi_ogadi) 2019年6月21日
1. デザイナーベビー&出生前診断⇨優生思想の解説を手短にする
2. 対話前の今の自分自身の考えをワークシートで
3. 哲学対話
4. 対話後の今の自分自身の考えをワークシートで
という流れ。
時間の都合上問いは、こちらで用意した三択
・親が子どもをデザインすることは許されるか
・デザイナーベイビーは幸せになれるか
・中絶は禁止すべきか
から多数決で。
二クラスで実施したのだけれど、どちらのクラスも「デザイナーベビーは幸せになれるのか」が選ばれた
あるクラスでは、親が生まれたあとの子どもをかなり厳しくしつけたり、勉強やスポーツを強制してやらせるのもある種のデザインだよねー、という話から、生まれる前のデザインと比較しながら考える。意外にも幸せにはなれなさそう(親の強制や理想の押し付けは辛い)という意見が多かった。途中で出てきてもっと掘り下げたかったのは、バレなければいいんじゃない?という話。デザイナーベイビーって後ろめたいんだな、なんでだろうな。整形も同じかな。
もう一つのクラスも同じような意見も出ていたけど、別にそもそも意図的な遺伝子操作によるデザインじゃなくても、教育にせよ遺伝にせよ、私たちは親の影響を受けている(足の速い人の子どもが足が速くなりやすい)のだから、そんなに変わらないのでは?という人と、いやいやそれと、わざと特定の遺伝子をもらってきて子どもに引き継ごうとする(足の速い人の遺伝子をもつ精子との体外受精をする)のははっきり異なるよねという対比が興味深かった。
私の感想。
・対話をしながら、結構な人が、ある人が幸せであるためには、(生まれる前にせよ、生まれたあとにせよ、)強制下に置かれていてはだめで、その人が自由な状況にあることが必要なんだ、という感じをもってそう、ということがわかってきたのがおもしろかった。
・バレなきゃいいんじゃない?という感覚も二つのクラス、どちらにもあるようだった。でもなぜデザインすることは後ろめたいんだろう?
・授業では優生思想という言葉を説明し、デザイナーベイビーや出生前診断は優生思想につながるかもしれない考えだ、とあらかじめ話したうえでの対話だけれど、話しているうちにやっぱり病気や障害であれば積極的に取り除いたうえで生まれてくればいい、そのほうが幸せだろうという意見も出てくる。そしてその発想を拒否する反応もまた出てくる。
90分一回だとキツイ。もう一回やりたい。(やれない)
哲学対話愛好会で「旅行にお金を費やすことは無駄なことだと思うか?」 を考えた
月に二回くらいでコツコツ続いています。
あまり適当な場所がないので、私の部屋でやってもらっているけど、開始~問い立て~問い決め~話し始め、くらいまでは学生さんたちにお任せする。
8名参加の今回の問いは「旅行にお金を費やすことは無駄なことだと思うか?」
1年生~3年生まで男女も学科も混合で集まれるのがおもしろいし、うれしい。
こういう場を求めている学内の人はまだ潜在的にはいるように思うので、もう少しお知らせしていきたい気持ちと、今いるメンバーの関係性をじっくり良いものにしていってほしい気持ちと、両方がある。コミュニティの内外問題。まあ、学生さんたちが思う方向に進んでいってもらえばよいか。
読み始めた
2019年話題の本をいまさら。
とてもよい。自分が知らない世界のように思ってしまうけど、本当は自分の生活している圏内にもあるかもしれない、そんな話。宿直をして眠りにつく前にまた読み進めたのでした。
私に支払われているお金の話
仕事をしながら、むしゃくしゃ(?)することがあって、ふと、
自分に支払われている給料とそれによって期待されている仕事内容と、自分が今時間を割いて力を入れていることには、ズレがあるのかもなあ、と思う。(もちろん、いろんな方がそこにズレは感じるんだろうけども)
給与は要するに教育と研究(!)に支払われているのだけれど、今は研究はあまりできていないし、教育は多くの先生がすでに精力的になさっている。私がやるのはどちらかというと普及や支援の類のことだし、目に見えるかたちで成果や内容が現れずらいものだ。(そう、まさに哲学対話のように)
放課後や空き時間に学生さんが部屋に来て、しゃべって帰っていくことはとても大事なことだし、哲学対話愛好会も当該学生たちだけでなく、学校全体に良い影響が及ぶんじゃないかと期待している。でもそのあたりって見えづらいし、よくわからない人にはよくわからない。(あいつは学生と遊んでるだけ、に見えるのかもしれない。)
でも、このちょっとズレたポジション自体を最初から狙っていた(というか高専で哲学の先生をやろうと思うと、多かれ少なかれズレるのだけど)といえば、そうなのだ。
ズレてる感じが不安に思う日もあるけれど、ズレて、はみ出してみせることが自分のここにいる意義な気もする、そんな金曜日なのです。
むしゃくしゃしたので電話機を買った。
— おがぢ⛅ (@ogadi_ogadi) 2020年1月22日
おかげさまで本も二刷である。
先日初めてお会いした方も、付箋を貼った現物を手に、読んだよ、と声をかけてくださった。ありがとうございます。ありがとうございます。
今頃、みなさまがキラキラとイベントをしているころだ。
【明日開催】
— 代官山 蔦屋書店 人文・文学・ビジネス (@DT_humanity) 2020年1月23日
第11回代官山人文カフェ
「与えられた場で自由に考え、自由に話すことはできるのか」
『こども哲学ハンドブック』
『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』
堀越睦×三浦美沙×土屋陽介
司会:角田将太郎
代官山 蔦屋書店1月24日(金)19時
03-3770-2525(代表へ)https://t.co/558CP2c9uZ
我が家は近所の雰囲気のよい焼肉屋さんに行きます。
*1:浅野いにお/TEMPEST | 弁護士宇都宮隆展の徒然日記
*2:いずれどこかで論文として読めるようになるはず