年末年始にこちらの記事に刺激をいただいて、
研究や会議などの資料をOneNoteでまとめてみようかという気持ちになり、
導入を始めたところ。(まだiPadもSurfaceも買ってないけど)
ついでに、以前はEvernoteでつけていたことのある一言日記もノートブック「日記」を作りやってみることにした。
で、それをもとにしつつ、ブログにも雑記として書いてみようかなと思ったのでとりあえずやってみる。日にちは特定せず、日々のことをざっくりと書きます。
仕事を再開した
初日は慣れない感じでふわふわと過ごしていたけれど、学生が登校してきて授業が始まるとそんなことも言っていられない感じで、早速慌ただしくしているつもり。ただ初日の授業はパッとせず、7、8限目の授業は学生さんたちも眠いし、こちらもダラダラと話をしてしまうしで、大変よくなかった。反省。
専攻科の授業
今年度後期は本科卒業後の専攻科の授業(大学3年生に当たる学年)を担当しているのだけど、いろいろ考えた末に原発と科学技術の関わりを考えるようなものにしたいと思い、このテキストの一部を少しずつ読み、ディスカッションをする授業をしている。
30人弱の受講者なので哲学対話もやればできるはずだけど、あまり全員での円にこだわらず、グループディスカッション⇨発表⇨再度グループディスカッション、みたいな感じでやることが多い。
(当たり前だけど)ふだん本科生の授業をしている身としては専攻科生さすがだなあと思う一方で、技術者、専門家になる人たちとしては危うくないか?という感覚も飛び出したりで、毎回勉強になっている。
でも今、教科書に指定した本をどこかで無くしたようで、とても悲しい。
面談は難しい
担任学生やそれ以外で頼まれた添削案件など、学生さんと個別で話す機会が去年よりも増えているんだけど、時間のかけ方、声のかけ方は毎回難しい。もっと聞き手に回りたいと思うのに、気づいたら自分がベラベラと話していることばかり。人の人生にどれほど踏み込んでよいものか。
よく研究室に来る学生さんと
哲学対話愛好会(仮)の会長は放課後よく研究室に遊びに来てくれるので、調子に乗っていろいろ哲学の入門本を貸している。年末年始に貸した本では、飲茶さんのニーチェ解説が一番良かったらしい。飲茶さんは偉大。
そろそろ一緒にニーチェの邦訳書を読んでみるのもよいかなと思ったけど、なにを何の訳で読めばよいのか、わからず、挫折。
彼に自慢げに「研究室の机を今の長机から台形のものに変えようと思っている」と検討している机を見せたら、「大きさは大丈夫ですか?」と言われ、その場で15cm定規を駆使して測ってみる。ちょっと大きいが問題無いと思い、私はさあ買うぞという気持ちになっていたのだけど、「ちゃんとメジャーで測った方がよくないですか、買ってから大きすぎたら良くないですよ」というまっとうなアドバイスをいただき、シュンとする。
記事が公開された
NPOのメンバーで分担して書いたこども哲学の記事の担当分が公開された。
高専での哲学対話
— 教育新聞 (@kyoiku_shimbun) 2020年1月10日
授業では、哲学史を古代から順に講義するようなことはせず、学生たちにとって考えやすいと思われる重要なテーマや概念を取り出し、関連する哲学者や現代の諸問題を講義形式で紹介する。その後、同じテーマで哲学対話を実施するスタイルを基本としている。https://t.co/o4K8vtCXGJ
が、会員でないので読めない。。。