あなたとわたしのこどもてつがく(仮)

「こどもの哲学」(P4C)とそれにまつわるものたちでテキストを書こう。みんなで書こう。

こどもの哲学のチカラ?

夏休み。毎日もろもろ溜まっているのに、家でごろごろだらだらと過ごしがちで、やるべきことが溜まってしまう。夏休みの宿題を溜めるこどもと同じじゃないか!

 

でも、簡潔に、最近あったこども哲学での一場面を書きとどめておきたい。

 

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This is 変容!なんてなかなか出会わない

こども哲学は、ふだんの学校の教室や通常の関係性にはうまく馴染めないこども(やその子を取り巻く環境)が、対話を続けていくなかで、変容していくよね、と言うことがある気がする。あるいはそれを教室という規模で言うならば、「教室が哲学の探求の共同体に変容する」などとも言いうるかもしれない。

それでも継続的にこどもたちと付き合っているわけではない自分のような実践者にとっては「This is 変容!」みたいな場面になんてなかなか出会わない。

 

でも、たまーに、それがこどもの哲学の力かどうかはよくわからないけど、一回きりの対話の場でも不思議なことが起きることもある。そんな話。

 

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自分の身体を隠すためのイスに座れるようになる

先日のこども哲学では、お互いに知り合いでない小学4~6年生30人弱という場で結構難しいかなと思っていたのだけど、半分近くのこどもたちが手を挙げて発言してくれたおかげで、楽しく対話ができたと思う。

 

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問いは、事前に用意しておいたものから「「命は大切にしなさい」っていうのに、昆虫採集はどうして行くの?」になった。

 

そんななか、対話の前に座席の移動を伴うちょっとしたアイスブレイクをやっていたところ、一人の子がサークルから出て教室の隅で丸くなって座り込んでしまった。

どうしたの、と声をかけると体がガクガク震えている。

体調不良でないこと、緊張から輪に入れないことはわずかなやりとりのなかでも確認できたので、彼のそばにイスをもっていってあげて、そこにいていいよと言っておいた。

 

そのあと問い決めから対話に入ったわけだけど、ときどきその子の方を気にして見ると、ちょっとずつ身体が動いて、対話に参加しようとしているのが、目でみてわかるのだ。

 

1. 最初は壁のほうを向いていた身体がサークルのほうを向くようになっている。

2. サークルの外からではあるけど、問い決めの際に手を挙げて投票している。

3. 対話が始まると椅子の後ろに身体は隠しているけれど、ときどき自分で手を挙げている。でもこちらが指名すると手と身体を引っ込めてしまう。

4. 対話の後半にさしかかったあたり、サークルの外からではあるけれど、いよいよ手をピンと挙げている。本当に話したそうだ。ボールを渡してあげると、立ち上がって、しっかりと意見を言ってくれた!次に手を挙げている子にも歩いていってボールを渡してくれた!

5. そのあとは、発言はなかったけれど、サークルの外ながらさっきまで自分の身体を隠していたはずのイスに座って、対話に参加してくれていた。

6. 終了後、軽く声をかけてみたけど、なにごともなかったように淡々と帰っていった。

 

これはこどもの哲学の場によってその子自身がケアされる、というような一場面だったのだろうか。そんな大それたものなのかはわからない。その子はいつでも初めての空間では緊張しちゃうけど、徐々に慣れていく子なのかもしれない。

 

ただここまで顕著に、一人の人が短い対話のあいだに変化する、ということはなかなかないので、やっぱり印象的だった。

 

そして、その子が少しずつ参加しようとしてくれている変化を、過度に気にするでもなく、過度に拒否するでもなく、受け入れながら対話を続けてくれた27人の子たちがなくして、彼の変化はなかったと思う。

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こどもの哲学のチカラ?

こどもの哲学は、◯◯力を養います!

こどもの哲学は、コミュニティ作りに抜群の効果があります!

こどもの哲学は、ふだんの関係では活躍できないこどもたちがケアされます!

などなど、少しずつ実践回数が増えてきても、自信をもって成果や効果として語られることはまだ多くはない。

 

でも今回のような体験はやっぱり尊い

容易に一般化などはせずに、エピソードとして、ここに留めておきたい。