高専てつがくは発狂する

「こどもの哲学」(P4C)とそれにまつわるものたちでテキストを書こう。みんなで書こう。これからは日々のことも綴ってみようと思います。

【主に学生さんへ】2019年度第一学期のふりかえりや感想へのお返事など

学生のみなさん、こんにちは。

よくぞたどりついていただきました。

授業で配布したQRコードから直に飛べずに申し訳ありません。

 

平均点とか、採点していて気づいたこと

60点満点の試験でしたが、

平均点:  43.80点(100点満点なら73.0点)

 ―M 41.7 点 C 45.0点  B  44.7点 

学年最高点    59点 

でした。

 

昨年までの試験と大きく点数に差はありません。

クラスごとの差も授業(特に講義部分)で目を覚ましてついてきてくれていた人たちの割合についての私の印象と対応しているような感じです。

 

ちなみに、学期末の最終成績も平均は8割越えで「優」の人の数が一番多いはず。その意味ではもっと難しくてもよいのかもしれない。

  

以下、気づいたことの覚え書き
  • 知識パート40点分ですが、やはり授業(講義)で時間をかけたテーマのほうがはっきり平均点が高かったです。自由とか功利主義とかのこと、です。「宗教や理性」にかんする部分は、宗教についてはレポートワークでしか勉強していないし、理性についても問題としては難しかったかもしれません。0点/10点という人も複数いたような気がします。(でも宗教については、かなり基本的な問題だったのでできてほしかった!!)
  • パターナリスムについての問題は、単純に立場が上の人のためになにかを強制する、というのでは実は不十分で、「相手の幸せを思って」の干渉・強制というのが、やっかいなところでした。みなさんの解答をみながら、授業での強調の甘さを感じました。申し訳ないです。
  • クリティカル・シンキングの問題、予告していたこともあると思いますが、概ね理解してくれていたと思います。が、「人格攻撃」といったときには、単純に相手をバカにしました、という話ではなくて、相手のネガティブな特徴を持ち出すことで、当人の主張を説得力のないものとみなすこと、という意味です。勘違いのないように。

 

 

エッセイの採点のこと

いつもいつもですが、難しかったです。おもしろく読んで、採点の手を止めて考え込んでしまいそうになるものもたくさんありました。(そういうものの多くが満点のものです。)

試験前にも、採点基準をお伝えしていたとおり、

授業内容や哲学対話で話したことや、あるいは世間一般で言われていそうなこと、からどれだけ考えを進められているかな、ということを気にしながら採点しました。

そういう意味では授業の延長線上っぽい問い、たとえば「タバコは許されるか」や「授業中寝るのはよいことか」をミルの他者気概原則をもとに考える、とかは、なかなかオリジナリティが出しにくかったろうと思います。

参考までに、問いで全てが決まるわけではもちろんありませんが、満点になった方の問いを紹介すると、

  • 人間は賢いのか
  • 原発は必要か
  • 動物の権利について
  • 議論はされているが植物の権利は?
  • ヘイトスピーチはなぜ規制されるのか
  • 自殺はよいことか、わるいことか
  • なぜ人を殺してはいけないのか
  • 自殺を止めることは正しいことなのだろうか
  • 人々はヴィーガンになるべきなのか
  • 人間どうしの差別はなくなるのか?
  • どうすれば日本の社会は発展するか
  • 人のまねをすることは悪いことか? 

などがありました。

 

 

大福帳やアンケートへのお返事(後日更新)

1. 試験の感想欄

・難しい

・難しすぎる

・難しすぎてハゲそう

この声が大変多かったです。 

でも総合成績的には悪くないので、なんとか納得していただければうれしいです。

あと、授業中大変よくお眠りになっていた人も、しっかりと授業を受けて高得点をとっている人も、「難しい」と言っていることをどう解釈したらよいか、悩ましいです。 

 

どんな人がどんなことをしたのか覚えるのが大変でした。

思っていたよりも倫理は覚えられない。社会みたい。

どうやって勉強するのが最もいいのかわからなかった

テストで結構多くの知識が必要だから講義にもっとつめこんでほしい。

倫理は「哲学する」授業です。と言いながら、試験は蓋を開けたらただの社会科かよ、というご批判をどう受け止めるか、考えています。少なくとも、事前に、こんな問題があるよ、という例題をお示しするんだったかな。

それでも、

文章読みすぎてめっちゃつかれた。

 という声もありますが、実はあの長文のなかに記憶を引き出しから呼び起こすヒントや、記述問題の際の参考を散りばめているつもりでした。ご理解いただけませんでしょうか。。

 

 

授業中に聞いてない聞き方をするくらいならば対話の時間を裂いて、当ててほしい()*1。慈で単位くれませんか?

「聞いてない聞き方」ってなんのことだろうか。授業のプリントで穴埋めだったものをそのまま出さないとだめでしょうか。。。

→これについてもあとからご本人からコメントをいただきました。

「人名とその考え方しか[授業では]述べていないように見受けられてた。浅いという意味ではなく。発展するのがテストだというなら受け止めます。単に解けなかった腹いせと捉えてください。(笑)」

とのことでした。説明をありがとうございます。

あと、単位は私があげるものではなくて、みなさんが取得するものです。 

 

 

一番最初の「哲学」について授業ではあんまり深堀されていないような気がしてしまいました。気のせいであればすみません。

 具体的なご指摘もありがとうございます。「哲学」について、というのが「哲学」という言葉のもとの意味である「知を愛する」ということでいえば、ソクラテスソフィストの違いなどを説明しながら、結構時間をかけたつもりでいたのですが。。しっかり検討しなくてはと思っています。

 

 

 

上手く選択肢が分けられていてちゃんと理解しているか試せていると思う 

ふだん考えないことをたくさん考えたのでつかれたし楽しかった。

数少ないお褒めの言葉。うれしかったです。 

 

 

  

 
2. 匿名アンケ―ト

講義の割合のわりにテストの評価割合が大きい

テストの点数50点とはわからなかった

 

 

哲学対話をクラス全員でするよりももう少し少人数でした方が話しやすいと思います

少人数でもほんとに話してくれます?教員は助けに入れないけど大丈夫かな?

 

テストで問いと答えを書かせる意味がわからない。やめてほしい。

「テストで哲学者の思想についての暗記を問うことの意味がわからない」と言われると、たしかにわからないぞ!となるのですが、エッセイ書こうよ、というお誘いは実はわりと意味がわかりませんか?めんどくさい、や、やりたくない=意味がわからない、だとしたら、意味を考えてみてほしいです。

ちなみにこの文章の前にはもっと悲しいことも書いてあって、わりと落ち込んだ。

 意味の分からない問いを考えられない

 

 

テストの暗記問題をもう少し増やしてほしいです

うー、はい、検討します。

 

哲学対話はおもしろかったが嫌な人もいるので考慮に入れるべきではないか

それを考慮に入れた結果、哲学対話をするか、自分一人で好きなところで考えるか、を選べるようにしているのですが、それでも、ですか?

動画がなかなか見れないときがあったので、もっとみたかったです

再生に手間取ってしまいました。申し訳ないです。

 

どこが大切でどこを写せばよいのかもう少し分かりやすい方がよかった

うーん、申し訳ないです。でも、教員が、ここが大切だよ、って言って、ここを写しなね、って言って写すって少し受動的すぎではありませんか?そんなことない?

 

パワーポイントの文字が少し見づらかった。授業中にタブレットで文字を書き込むのも少し見づらかった。

長い文章が書かれると分かりにくいし見えにくい

申し訳ない。

 

3. 大福帳
  •  講義がもっと多い方がよかった
  • 適切な講義量にしてほしい
  • 宗教については、レポートワークしかやらなかったので、もっと講義でとりあげるべき

試験直後ということもあり、もっとちゃんと授業しろ、という声が多数。

かつ、講義だと眠くなるから講義の間にもグループワークや意見交換を入れた方が良いとのご意見も。本当におっしゃる通り、なのですが、具体的にはどうやったらいいんだろう。それを考えるのが私の仕事ではあるのですが。。

 

  • 重要なワードが見づらい
  • 字が読みづらい
  • パワポではなく板書を
  • もっときれいにまとめてほしい

ごめんなさい!!

 

  • 哲学対話を強制されないのがよい
  • 哲学対話について批判的な人が多いが自分は哲学対話はよいと思います
  • 哲学対話ではたまには全員に当てるのがよい

哲学対話についてもたくさんのご意見がありました。「批判的な人が多い」のかあ。。

 

  • 自分で問いを立てて書く問題などは出題する意味がわからないし、めんどくさいのでやめてほしいと思う

上記アンケートと同じ人かな。

倫理Bでも問いを立てて考えてもらいます。よろしく。

 

  • 授業のとき、たまにマシンガントークのような感じになって、頭がパンクしてしまうので、もう少しゆっくり喋ってくださるとありがたいです。

うーん、話しすぎはよくないですね。反省します。

 

 私はまだ未熟なので授業中に寝てしまいます。[...]私はやる気があるので愚行権を行使しないで起こしてほしいです。

 

 

  • 内容はとってもいいのに誰も真剣に聞いていないのはもったいない。 

!!!

 

  • 復習プリント、一問一答のワークがほしい
  • テストに出るところは他のとは多く取り上げてテストに出ますよアピールをしたほうがいいと思った。

試験勉強のこと考えたらこうなりますよねえ。そうなんだけど、最終成績でみると、8割越えの人がかなりの割合なんです。たしかに試験は難しく感じると思うけど、これ以上試験のためのお手伝いをするなら、それに対応して問題を難しくするとか、レポートの評価を厳しくしてバランスをとりたくなってしまうのだけれどそれでもよいのだろうか。ここは高専なのであって、小学校や中学校ではないのだ。

授業の内容、講義の進め方はいいと思う。なぜなら[...]。だが、それならテストが知識についての割合が高いかなと思った。テストだから知識を試すため高くなるのは仕方ないし、問題の出し方などはいいと思う。けれど、倫理は授業でも自分で思考することが多い科目だからもう少し自分で思考するような問題があったらよかったと感じた。

 

 倫理は道徳と社会の間をとったような教科だと感じた。テストを見て、最初は意味の分からないテストと感じたが、よく考えるとやったことない教科である上に、道徳のように決まった形の正解がないかと思えば、社会のように幾つかの(人名、考え、単語)語句を正確に理解して結びつけねばならない、という対極にある二つの事柄を盛り込まざるをえない気がするので、それを考慮するとよいテストだったと思う。授業では哲学者の考えなどをずっとやっていてもいいところをわざわざ取り込むのが難しい哲学対話で、倫理に関する体験を実際にさせてもらえたので、個人的には倫理の授業は非常に有意義に感じた。[...]

 

 

[哲学対話をやるなら]無知のヴェールをかぶったような状態の初めて会う人とか慣れ親しんだ人とじゃないとどうしても意見のぶつかり合いが怖いので自由に課題を選べるのは助かりました。

 

哲学してると物事を深く考えすぎて疲れないですか?私は楽観的に日常をすごしていてあんまり”考える”ということに耐性がないから頭パンパンになって疲れちゃいますね。

 

講義のなかで誰かに意見を求めた後に、その人に次誰を当てるかを決めさせる制度は止めた方がいいと思います。当てる人も当たる人も得をしないです。

 

テスト勉強をするときにプリントで「メモしたい人は~」と言われたときのメモが多すぎて何が重要なのかわかりづらかった。プリントの空欄は最低点をとるためだけのものなのでしょうか?メモと空欄の重要度を知りたい。

 

倫理を通して私が思ったのは正直に言うと、「何故学ぶのか」です。古代オリエント*2だったり、哲学者の考えを知ることは雑学となったり、人生において何らかのプラスになるのかもしれないけれど、少なくともこの講義だけでは私にはテストで単位を取るためのだけのものしか得られなかった。

 

お褒めの言葉

 あまりとりあげてもしょうがないのはわかっているけれど、ご批判に自分なりに向き合って疲れてしまったので、少しは自慢をさせてほしい。

 

ふだん考えないようなことを一生懸命考えることが比較的自由にできた授業で、高専に入ってから、なくなっていた人に対する感性(?)などが再び出てきたんじゃないかなって思います。

 

 

 

 

第二学期に向けて

 二学期も引き続きお世話になります。新カリキュラムでの二学期を私は昨年は経験しておらず、小テストや課題の出し方、e-ラーニングでの大福帳など、チャレンジしたいけど、まだ誠意準備中のものがたくさんあります。

どうぞよろしくお願いします。 

 

 

 

以前の学期のものはこちらから

 

p4c-essay.hatenadiary.jp

 

 

p4c-essay.hatenadiary.jp

 

 

 

*1:授業中、この「()」の意味はなんだろう?と話したら、ある方からコメントで、「(笑)から笑いがないから、笑えないという意味」と教えてもらいました。また別のクラスでその話をしたらご本人からあとで、そのようないみではなくて、「言いづらいことを軽やかにするようなニュアンスで使いました」と教えてもらいました。軽やかか~。わからなかった!

*2:授業でやったのはギリシャだけ、だけど

哲学対話が広がっていくことにモヤモヤもする、という話

 

 私はTwitterで「哲学対話」と検索するのが日課です。

自分の授業を受けた人をそれで見つけることもある(!!)けど、 SNS界隈で哲学対話が話題になっているときにその反応をみるのは、ドキドキもするけど概ね楽しい。

 

 

哲学対話/ こどもの哲学が注目されてうれしい

周知のように(?)私は、哲学対話やこどもの哲学と呼ばれるような実践や教育に関心があって、授業でもするし、研究もするし(最近はサボり気味)、文章も書いたりするし、学校の先生のところへ行って「普及」もします。

 

そんな活動が評価されるのはまずはうれしいです。

自分のことではなくても、すばらしい知人たちの活動が世に出ていくのはよいことだなあと思います。

 

たとえば、この日経の記事は、結構な人に読まれていたらしい。

生徒さん、関係者、学校の校長、教員など、かなり時間をかけて取材したことが伝わってきます。最終回には、学校を超えて、企業での「哲学シンキング」についても、企業名や関係者が明示されながら詳しく載っていて、かなりインパクトがありそう。

r.nikkei.com

 

偏差値40。東京都立の高校の中でも最下層。そんな都立大山高校(板橋区)で、異変が起きている。この3年、上智など有名私大に加え、国公立大への合格者が相次いでいるのだ。生徒を変えたのは、詰め込み式の受験勉強でもなく、最先端のIT授業でもない。哲学者が学校に持ち込んだ「哲学対話」という集いだ。その変貌は、奇跡の変身か。それとも、変化の軌跡か。

なぜ最後に、「奇跡」と「軌跡」でよくわからないボケをかましてきたのだろうか。

 

それはさておき、果たしてこの高校では哲学対話によって「キセキ」が起きたのでしょうか。無料アカウント登録で読めるのでまだの方はぜひ。

 

あるいは、東京新聞でも。

www.tokyo-np.co.jp

 

私もかかわるNPO法人の関係者が多くかかわっている「教室」。

冒頭の

子ども向けの習い事として「哲学教室」の案内を見かけるようになった。

は誇張している気もするけれど、これからは本当にそうなっていくのかもしれない。

 

あるいは、あるいは、飛行機内でも。

住んでいる場所がら、この一年は、東京へ飛行機で行くことが多いこともあって、いつも座席にある機内誌で哲学対話の紙面を見かけて、周りのお客さんがどんな風に見ているのか、勝手にドキドキしています*1

www.kidzania.jp

 

なんというか、

これまでもweb上には転がっていた哲学対話についての情報だけれど、それは、哲学対話について知りたい人がアクセスすることで出会っていたものだったはずで、でもいつのまにか哲学対話についてあえて知ろうとしない人たちのもとにも届くようなかたちにまでなっていきている。

そんな感じである。

 

哲学対話/ こどもの哲学が注目されてモヤモヤする

 確かに、広がっていくと、自分の学内での居場所も広がる気がするし、褒めてもらいやすいし、仕事も増えるかもしれない。

 でも、このような「普及」の流れには、モヤモヤする気持ちがあるのもまた事実なのです*2。そのモヤモヤを言葉にできればいいのだけれど、ちょっとうまく言えない。でもモヤモヤしていない、とは決して言えない。なにかただの賛辞以外に、言わなくてはいけない気持ちに駆られる。

でも、なにも言わないのならなぜブログを書くのか、ということにもなってしまうので、少しだけ思いつくかぎりのキーワードっぽいものだけ列挙してみる。

 

  • なにかを「普及する」ことはなにかを”本当に”伝えることなのか
  • 実践者が大事にしたいと思っている”核”のようなものは容易に伝わるのか
  • 現場の数が増えればよいのか
  • 哲学対話を含む”教育運動”のゴールは普及なのか
  • そもそも普及したかったのか
  • じゃあ、普及しなくてもよいのか
  • 自分が注目されなくてひがんでいるだけではないのか

 

 

別にこのタイミングではじめてモヤモヤしたわけでもない。ずっとしている、ともいえます。メディアに取り上げられるたびに、本が出るたびに、どこかの学校が取り入れたと聞くたびに、自分がどこかの学校に呼ばれるたびに。

 

 

 

 

 

【ゆる募】この私の悩みはアカデミックな系統にも存在するものですか。

哲学対話に限らず、一般に「普及や運動にはなんらかのジレンマがつきまとうのだ」、とも言えそうな気がします。そしてこれは多くの実践において、悩みながら、考え続けられてきた課題である、とも思います。そういう意味ではこのモヤモヤは哲学対話の普及者にオリジナルなものではないはず。様々な先人たちの普及や運動をめぐる研究の蓄積とかありそうなんだけど、私のレファレンス力ではすぐには見つけられません。

教えてほしいです。

哲学対話についての「普及」をめぐる議論は、、、ない、ですよね??

 

【ゆる提案】議論を残そう。

今回言及したような「モヤモヤ」について、SNSやあるいは飲み会の席や、会合の帰り道で、たくさんの人がこれまで語ってきたことを知っています。

そろそろそういった語りは残していく時期なんじゃないだろうか、と思うのです。なんというか、私は、私の周りの顔の見える人たちが今モヤモヤしながら実践していることを知っているけれど、もっともっと先になって、あるいはもっともっと遠くの人たちから見たら、ただ諸手を挙げてこの「普及」を歓迎しているように見えるかもしれない。

としたら、それはなんだか嫌です。

ちゃんと議論を残そう。

研究会とか開くのもよいし、シンポジウムとか、ワークショップにしてもいいのだけど、そういった会で話されたことを蓄積して残していきませんか。

 

 

 

 

*1:でも、リンク先を見る限りだと、12カ月続いたものが、今回で終わりらしい。

*2:自分は哲学対話を普及することを理念として掲げる団体の理事なのである。その意味でももっとよくよく考えないといけない。他人事ではないです。

ライフラインのある授業ー対話したくない人はしなくていい?

GWです。

なかなか担任仕事もあったりで、落ち着いてブログを書く、という感じにはならず間が空いてしまった。

 

見学者いらっしゃる

休み前には、某法人の活動経由で知り合った方が授業に見学に来てくださる。気づいたことをコメントしていただいたり、哲学対話に取り組む自分の話を興味深く、喜んで聴いていただけるのは本当にありがたい。*1励みになります。

 

そんな方から、私の授業について、こんな言葉をいただく。

ライフラインのある授業ですね

f:id:p4c-essay:20190423111849p:plain

セーフティーネット(いらすとや)

 ライフラインって「命綱」のことで、クイズミリオネアで答えがわからないときに「テレフォン」とか「オーディエンス」とか「フィフティーフィフティー」とかに助けを求めていた印象のある言葉だ。

 

自分の授業にライフライン?と思ったのだけれど、授業についていけない人のために別の選択肢を残しておいたり、ヒントを散りばめる、みたいなことを指して言ってくれていたらしい。

たとえば、講義をしていくなかで説明にうまくついていけなくなってきた人たちのために、途中で関連するマンガを紹介して説明をすること、「自分で問いを考える」という課題の際に、以前に学生たちが書いていた「自分自身の気になること」をまとめたプリントを配布して参考にできるようにすること、などのこと。

 

哲学対話をするかしないかを選んでもらうこと

その授業では、90分の前半で講義をしたあと、後半に対話の時間を設けていたのだけれど、ライフラインと関連した新しいことにチャレンジをした回でもあった。

授業では今まで哲学対話で話さなくてももちろんOKだけど、原則40人超の全員で円になることにこだわってやってみていた。ただ、それが辛いという人もいるだろうし、無理やりやらされていると思うと集団としての集中力も下がって、私語も増えてしまう。哲学することを強制する問題。別に授業なんて、強制を伴うものなのだから、気にしなくてもよいのだけれど、それでも気になっていた。

体育の先生にヒントを得て、試してみたのは、こんなやり方。

  • 哲学対話をするか、自分(たち)で考えるか、(あるいは、哲学対話を円の外から観察して、分析・考察する)を選択してもよい。
  • 哲学対話をする人は教室でいつも通り円になる。自分で考える人は、教室のスミでやってもよいし、時間までに戻ってくれば教室外でやってもよい。
  • ただし、自分で考える人はそこで考えたことをB5用紙に書いて提出し、評価対象になる。(哲学対話を選んだ人は提出物なし)

授業は自分で問いを立てて考えることが目的で、対話はその手段の一つ、そう考えればこのやり方も認めてもらえるかなあ、という感じで、見学者がいるところで初めてやってみた。

このやり方も含めてみていただいての「ライフラインの多い授業」という感想をいただいたのだと思っている。

 

結果はというと、一つのクラスは10人くらいの人たちが、もう一つのクラスは半分くらいの人たちが自分で考えるほうを選択した。ぞろぞろ教室から出ていってしまうのは、寂しくもあるかれど、ほとんどの人がB5用紙の課題にはしっかり取り組んでくれていたみたいだったし、そうやって教室にいなくてはならないとか円になって対話しなくてはならないとか、当たり前に課していたことを疑うきっかけにはなっている。対話は、あえて残るほうを選んだ人たちとはいえ、活発に探求が進む、というわけではないけれど、それでも40人でなかば無理やりやるよりはよい感じもある。

 

本当に、対話しなくてもいいのか

 

ただし、したくないからといってさせないなんて授業としてそれでよいのか、という批判もありうると思う。それに対話的な活動に抵抗感のある人たちとも、対話を進めるなかでその意義を実感したいという想いもある。だから、哲学対話のたびにこのやり方でいくつもりもない。

 

それでも、もう何回かこのやり方を試してみつつ、様子をみてみる価値はある。哲学対話やってもいいかなという人たちが対話に慣れてきたところで、自分で考えることを選んでいた人たちとも合流できるといいなと思っていたりもするのです。

 

 

*1:勤務校の先生たちは哲学対話への理解がないとは思わないし、好き勝手やらせてもらっている。けれど、そもそもお互いの授業には不干渉なところが多いので、話をする、聴いてもらう機会自体がないのです。