「いなかの学校」にこども哲学をしに行く
週末出かけることが多かったのと、学校のほうも少し忙しかったのもあって、久しぶりのブログ。
「いなかの学校」にこども哲学をしに行く
先週末は所属NPOへ来た依頼を受けるかたちで、県内のフルーツ農園を会場にした二泊三日の小学生向けのキャンプ、「いなかの学校」に夫婦で参加させてもらってきました。
私たちの仕事は、様々な自然体験のプログラムのなかで、「こども哲学」を小学生20人とすること。そして夜にはスタッフの方や参加していた大学生の方々にこども哲学のミニ講座をすること。
周南市「いなかの学校」のプログラムに二泊三日で夫婦で参加させてもらって、子どもの哲学をいろいろなシーンで実施しています。一緒に沢登りしたり、走り回ったりするから、すごく疲れるけど楽しい! pic.twitter.com/wMigVbHUuc
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年7月16日
三日間、ほとんどすべてのスケジュールに参加させてもらい、めちゃめちゃ暑くて、疲れましたが、新鮮なことがいっぱいあり、楽しかった!
感じたことがたくさんあるので、ブログにもメモを。
自然のなかでふしぎやぎもんを見つけよう
こども哲学、といっても、豊かな自然環境のなかで、ただ座っていつものように「なぜ勉強するのか」「大人とこどもの違いはなにか」を考えるのだけだとつまらない。
そう思って、今回は三日間の目標を
ながーく、考え続けられる、自分だけの「ぎもん」「ふしぎ」を見つけよう
に。
みんなで丸く座って対話をする、ということよりも、「ふしぎ」を見つける、出会う、気づく、を意識してやってみた。
こども哲学の「問い」の特徴を、調べて答えが見つからない、とか簡単に答えが出ない、とかで、説明することもあるけれど、実は良い問いの特徴って、「ずーっと考えても楽しそうなもの」にある気が最近している。
一年生と六年生、男子と女子
キャンプには周辺の小学校から1年生〜6年生の男女が参加している。友だちどうしもいるけれど、もちろん初めましての子たちもいて、一緒にワークをしたり、遊んだりする。会場となった農園にはハンモックやトランポリン、ブランコなどがあって、プログラムの合間合間には自由に遊んでいいので、子どもたちは暑さにも負けず遊ぶ遊ぶ。
楽しいのはいいのだけれど、特にトランポリンは定員もあるし、激しい遊びだし、どうしても高学年男子が中心になって、低学年男子や女子はなかなか交ざれない。
大人は基本放っておくので、泣く子も出てくる。
たった二泊三日なのに、最後にはパワーバランスが出来上がっているし、かなり強めの「いじり」も集団でするようになる。
久しぶりに「遊び」の様子を見て、ああ、学年や性別が違うなかで一緒に遊ぶってなんでこんなに難しかったんだっけなあ、と思い出した。
自然は生きているのか
二日目の夜は、 屋外で、真っ暗になって星が見えるようになるまで、みんなで哲学を。
自分の思い浮かべているもの(「将棋」とか「椅」とか)を質問でしぼっていくゲームをしていると、ある子が思い浮かべたのは「土」(...だったと思う)。
その質問のなかで、「それは生きていますか?」に生きているって答えたのだったかなあ、よく覚えていないけれど、答えの「土」がわかったあたりで、「土とか自然とかは生きてないだろー」みたいなクレームが出てきた。はてと思って、本当は「楽しい遊びの条件って?」という問いをこちらから投げかけようと思っていたのだけれど、予定を変える。
自然は生きているのか
生きていない派は当然いるのだけれど、生きている、とも言える、と考える人たちも一定数いる。私のほうで質問を重ねてみる。
「でも、絵本とかアニメとかでは木が話したり、するよね?風がゴウゴウ言うのにセリフがついてたり、、、」
でも「あれはうそだよ」と反論される。
もちろん、そうなのかもしれないけれど、じゃあ世の中にある自然が生きていることを描く絵本やアニメは全部うそ、で、いけないもの、ということになるのかなあ。
「絵本はその作者には少なくともそういう風に(自然が生きているように)見えている(のだからウソとは言えない)」
と主張する子もいて、個人的にもすごく考えました。
都会と田舎
初日の夜は、大学の授業の一環で来ていた大学生のみなさんやスタッフのみなさんとこども哲学のミニ講座。時間が限られていたので、手早く解説をしてから、みんなで哲学対話を体験してみる。
問いは、複数あった候補から(私が出した!)「都会と田舎の違いとは」に。
すごく盛り上がって、ずんずんと話題が展開して、問いが生まれて〜というような対話ではなかったかもしれないけれど、「いなかの学校」の研修のなかでこの話ができたことはとてもいい時間だった。
「いなかの学校」は県内でも都市部に住む子たちを受け入れつつ、自然に触れてもらい、田舎で過ごすことの魅力を感じてもらいたい、というコンセプトがあると思う。わたしたち夫婦を受け入れてくださった方からも私たちに対して「都会の方たちからすれば〜」みたいな声をなんども聞いた。
都会と田舎という雑だけど強力に自分たちの思考を縛る二分法のなぞ。
今自分の住んでいるところは田舎なのか都会なのかなあ。
葛藤する少年
最終日、最後のこども哲学の時間では、夫婦で相談して、思い切って3日間フツフツと感じていた、「みんなで仲良く遊ぶことの難しさ」をダイレクトにぶつけてみた。
「好きな遊びとその理由」をあげてもらったあと、そこで出てきたドッジボールやトランポリンについて、なんで楽しいのか、あるいは楽しくないのか、今回の三日間も含めてなかなかみんなで仲良くは遊べないのはなんでなのか、問いかけてみた。
高学年男子からも低学年男子からも女子からも(こういう分け方もこちらの一方的な分け方でしかないけれど)それぞれの立場から意見も反論もあり、ヒートアップ。落としどころは見つからなく、問題をぶつけるだけぶつけて終わってしまった。
そのなかでも印象深かったこと。
プログラムの終わりに、三日間通して書いてもらっていたワークシート(その都度見つけた「ふしぎ」や「ぎもん」を書く)を完成させて、わたしか妻かに見せて短くやりとりをして、サインをもらう、ということをお願いした。
直前の対話を受けて、「みんなで遊ぶためのルールとは?」みたいな問いを書いてくれる子もいれば、それを避けてか前日見た夜空の星をふしぎに思う子、などなど最後にちょっとだったけれど個別で向き合えてよかった。
そんななかで一人の高学年の男の子。初日に「農園の周囲を歩き回って「自然のなかにあるよく見るふしぎなもの」を見つけてきてね!」という提案をしたときから目を輝かせてくれていて、ほかの場面でも自分から手を挙げて発言してくれていた。一方で、トランポリン遊びでは他の子たちと一緒に、高学年チームとして、低学年の子などにかなり強めに当たってもいた。
最後の遊びのルールについての対話中も、ずっとなにかが言いたそうだったけれど、水を向けても今回は話をしなかった。
最後にワークシートを見せてもらいながら(彼の問いは直近の遊びについての対話からのものだった)話せたので、今回は話したいことがなかったのか、聞いてみた。
話をしてみると、彼としては、自分たちの三日間の遊びでの振る舞いは、自分たちなりの「ルール」を提示してのものだったから非があるとは思っていない。そう言いたかったけれど、対話中に低学年の子たちからの反論を聞くにつれて、迷いが生じてきたらしい。
言葉少なに、
「よくわかんない気持ちになった」
「(発言しようと思ったけれどそれをためらったのは)はじめて」
と彼は言っていた。
そういう自分のなかにある葛藤や矛盾やモヤモヤ、彼だけじゃなくて今回のこども哲学で何人かのこどもたちが持って帰ってくれていたら、うれしいな。
翌日はヘトヘト
出社。身体は連休の疲れが出て、ダルダルである。
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年7月16日
夫婦で、こっちにきてから買った車で、出かけられたのもうれしかった。
妻にも心からの感謝を。ありがとう。