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レポート課題を考える

翌年度以降の単位認定システム

勤務校では、必修科目を一つや二つ落とした時点で自動的に留年になる、というシステムを採用していない。たとえば必修科目である「倫理A/B」が不合格だったとしても、次の学年のカリキュラムに進むことができる。でも、そのまま5年間(高専なので)を過ぎても当たり前だけど卒業はできない。そこで、必修科目の単位を翌年度以降に取得するための試験課題というのが毎年課され、そこで基準を満たす、という過程が教員と学生のあいだで行われている。

今日はそんなシステムのなかで行ったレポート課題の話。

 

倫理の単位を与えるための適切な課題がわからない

私は今年新任なのだけれど、前年度の担当の先生が少々厳しめだったようで、総勢100名分の課題を考えねばならないという仕事がやってきた。ただ、前年度どんな授業が具体的になされていたかはわからないし、学生たちの状況も知らない。数学とかでは試験をするみたいだけれど、倫理で試験というのも知識に偏重してしまうなあと思ったのでいろいろ悩んだ末下記のレポートを課題として出しました。

 

課題:以下の3つの条件を満たすレポートを執筆してください。

      執筆時には3つの条件を満たしていることがわかるように適切な見出しをつけること。

  • 以下A)〜H) の「問い」のうち1つを選び、その問いに関心を抱いた理由や背景、身近なエピソードなどを書く
  • その問いと関係する哲学者や思想家を取り上げ、教科書やその他文献を参照し、紹介する。特にその問いとどのように関係しているかを重点的に説明する。
  • 1)および2)を踏まえて問いに対するあなた自身の考えを書く。

問いの候補

  1. スマホを好きなときに好きなように使う行為は自由と言えるのか。
  2. 高専生は大人か子どもか。
  3. みんなが納得するルールを決めるにはどうすればよいか。
  4. 神や仏を信仰することは友人を信用/信頼することとどう違うのか。
  5. どうせいつか死んでしまうのになぜ生きるのか。
  6. 嘘をつくのはいつでも悪いことか。
  7. いつの時代でも絶対に変わらない確実なこと(真理)はあるか。
  8. その他(オリジナルの「問い」を自身で設定する)

字数:2000字~3000字程度

 

下記のような表記一例も付けた。 

 

f:id:p4c-essay:20180920105512p:plain

レポート課題を考えるときは、この本をいつも眺めている。 

学生を思考にいざなうレポート課題

学生を思考にいざなうレポート課題

 

 

剽窃が起こる1つの原因は、学生の側に、素材をもとにどのような創意工夫を発揮すればよいか理解が得られていないということになります。*1

今回は事前の授業や説明会などがなかったので、こちらの課題の出題意図などが十分に伝えられなかった。なかなかそんな丁寧な取り組みは難しいかもしれないけれど、双方のためにも、課題の出題意図や学生になにをしてほしいのかを伝える時間はあったほうがよいなあ。

さらにもう1つの原因は、「まとめなさい」「説明しなさい」という論題では、(題材にもよりますが多くの場合)回答のための素材がたやすく入手でき、さらにその素材を加工しなくても、そのまま書き写したり、コピペするだけで、論題に答えることができてしまうということにあります。手間をかけて調べたり考えたりしなくてもはるかに低いコストで、同じ回答、あるいはより良く見える回答が簡単に入手できてしまうならば、自分で考えようという動機を学生が持つことは難しくなります。*2

その通りで、前提となる授業なしに、いきなり「まとめなさい」「説明しなさい」じゃ、そりゃあやる気も出ない(「この論題でコピペせずに何をすればいいの?」)し、ネットで調べればコピペをしたくなるようなそのまんまの説明なんかがごろごろ出てくるのだ。

倫理的な問題はさておき、ネットを調べれば答えが書ける論題を問う意味はどこにあるのでしょうか。もはや「剽窃やコピペはいけない」という指導だけではなく、インターネットを活用することを前提とし、それでも問う意味のある論題について教員側が工夫をする必要があるのではないでしょうか。*3

 こういった文言を反芻しながら、単にコピペしたり、参考文献丸写ししたりではできないような、(私の授業を受けていない学生からしたら)ちょっとひねったように見える問いを設定することで、工夫を促したつもりである。

 

蓋を開けてみると

提出前に課題について聞こえてきた声を思い出すと、「難しそう」「文字数が多い」「わかんない」「自分の考えでいいならいくらでも書ける」などなど。

実際に夏休み前の提出日には95%以上の人が提出してくれた。

今回は単位を認定するか、しないか、の二択のシンプルな評価で、こちらの求めた課題を満たしていればOkにするつもりだったので、まずは第一段階クリアーでホッとしていたのだった。

 
実際に読んでみると

こちらの課題設定の甘さをいろいろ痛感した。

まず課題提出日の時期。夏休み前、というのは学期末の試験直後、でもある。当然、学生はまずは目の前に試験に追われて、そこから急いで課題を仕上げる。まあ、時期を一に設定しても直前にやる人はやるのかもしれないけれど、しかしこの設定の仕方だとそりゃあそうなるよね、という急造の内容があったこと。

次に課題の、「与えられた問いに対して、哲学者を一人選んで、その思想を紹介する」というもの。ここは、なんとうか、さきほどの引用にもあったような感じで、「この期限の設定で、文字数で、論題で、コピペせずに何をすればいいの?」というような心の声を聞いた気がした。

こちらとしては、ひねった問いに対する哲学者の答えをつなぎあわせるところで、個々人ががんばるのでは、と思ったのだけれど、そもそもの問いに工夫が足りなかったかもしれない。

たとえば、「嘘をつくのはいつでも悪いことか。」という問いだと、かの有名なカントの議論がネットで検索するとすぐに出てくる。だから、この問いを選んだ人は参考webサイトとして同じ方の文章を参照していた。そこに、カントの議論を、嘘についての問いに適用する、という工夫はなかったと思う。

でもこれはこちらが悪くて、この問いを考えた時にはカントの議論が念頭にあるわけで、ひねりがなかった。

あとは、課題の「1)および2)を踏まえて問いに対するあなた自身の考えを書く。」。

ここをメインにしてほしかったのに、文字数や割合についての言及や指示を全くしなかったために、さらっとここを通り過ぎてしまう人が結構な割合でいたのが、寂しい。しかし、これもこちらの指示や意図を伝えられなかったことに起因する。

そして、そもそも哲学者の考えをもとに自分で文章を書く、という「引用」の基本の作法を学生たちが知らなかったということ。おそらく「参考文献やwebサイトを載せないとコピペや剽窃になるよ!ダメ絶対!」とは指導されたことがあるのだけれど、それがどういう意味でよくないのか、そしてそれを踏まえてではどういう風に文章を書いていったらいいのか(書くことが求められているのか)、をそもそも丁寧に説明されてはいないのだ。

このことは、本校が高専という理系あるいは専門性をもった技術者教育を念頭にした授業を中心にしている、ということも関係があるのかもしれない。アカデミック・ライティングの作法は、大きくは変わらないと信じるけれど、各授業単位での「レポート」の意味としては、もしかしたら調べたことや授業で学んだことをとにかく四の五の言わずにまとめる、自分の意見や考察は後回しで、客観的な理解を求める、ことが中心かもしれない。というか、そういうことを求めるレポートも十分にありうる。

ただ、私のレポートでは、そういうことよりもあなたが問いに対してどう考えるか、考えたかを知りたいんだ、そういうタイプのレポートなんだ、ということを伝えるのだった。だからこそ、哲学者の考えと自分の考えを引用の作法を適切に使って切り分けなくてはいけないんだ(別にどんなタイプのレポートでも本来はこの作法は適切じゃなくちゃいけないんだけれど、ほかの高校や高専ではどの程度ここを徹底して教えているのあだろう)*4

 

 

教員にとっても学生にとっても有意義なレポートをば

総合的な反省事項としては、もっと準備すべきだなあということ。

 

 

よいレポートが生まれるためには、学生を、「剽窃やコピペを繰り返す悪意をもった者」としてとらえるのではなく、 「積極的に学ぼうとする主体」ととらえるのがまず重要だと思っています。そして、学生のその主体性が充分に発揮できるような環境設定をすることが何よりも重要だと考えています。

そのとおりで、でもだからこそ難しい。

まず、一生懸命出した(つもりの)レポート課題を延々と読んでいるなかで、不満な出来のものを見ると、そこに悪意を勝手に読み込んでしまいそうになって、学生の学びたさを信じられなくなってくるかもしれない。

それに、環境設定は、けっこうめんどくさい。学生のレベルを把握し、授業の意図と接続させ、場合によってはレポートの意図について説明する場を設け、出す課題がインターネット上に転がっていそうなものでないかをチェックして、、、みたいな話がある。

でも、やらなくては。

あと学生だけじゃなく、人間は悪意があるかどうかとは別に、なるべく楽な方へと傾きやすいのだ、ということは認めたい。

ずる――?とごまかしの行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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この本はそういう感じが出ていて、面白かった。

しかも、案外単純なことでズルから遠ざかることもできる、可能性も書かれていた。 

誓約書の署名*5を申告や回答内容の上部にもってくると、ごまかしが減少する、というもの。

これらの実験結果を考え合わせると、署名は一般に情報を確認する手段と考えらているが、(そしてこの手段として大いに効果があるのは間違いないが)、用紙の上部に署名を求めることは、道徳心が薄れないようにする予防薬としてもはたらくことがわかる。*6

 これをふまえて、レポートのフォーマットにコピペしませんとかそういう文言を含む誓約文を表紙としてつけることを指示したらよいのでは、と思ったりしていたところ、似た先例がすでにあった。

新しいレポートの「指定の表紙」 – 江口某の不如意研究室

 

参考にしたいところ。

 

 

 

ちょっともう分量が増えすぎて、書いててつかれてきてしまった。

 

 

イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室

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新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

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カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

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このあたりのものも参考にしながら、レポートを書いてもらう、ということの意味を考えつつ、後期の授業内でのレポートを意識したいです。

 

*1:上掲書, p. 45

*2:

*3:上掲書, p. 11.

*4:形式や作法について語ることは単に倫理的な基礎の話(技術者リテラシー)の話なのではなくて、そもそもの論題や出題意図ということと関係している、という話。

*5:「ここに記入した内容が真実であることを約束します」

*6:上掲書, p. 67.