窓をあけておく

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プロジェクト学習を終えた

世間の学校は夏休みですが、勤務校は今が期末試験。

明日が試験最終日。

倫理もそこで行うので、私は明日の午後から採点マーチに突入です。

 

プロジェクト学習というなぞ

さて、勤務校では今1、2年生は新カリキュラムで動き出しているのですが、おそらくその目玉の一つが「プロジェクト学習」という科目。おおよそ7月の1ヶ月間、留学やインターンに行かない大部分の2〜4年生が履修をし、10人程度のグループと教員で90分30回(!)分、なにか(!)をしなくてはならないのです*1

 

本当は学生自身が考えたいテーマを出すタイプもあるようなのだけれど、今年度は試行的な面もあってか、教員が各自の専門性に沿ってテーマを出し、そこに関心のある学生さんたちが集まってきて、なにかをする、という感じ。(なんだか自分が高校生のころにもあった総合の時間の選択授業みたいだ。

 

 

理系、工業系の専門の学生、先生が多い中で私のテーマはだいぶ異色だったのだけれど、授業で哲学対話をやっているクラスの子たちで面白がって取ってくれた人がいて、そこはとてもありがたかった。

 

そして1ヶ月、哲学対話、学校や教育について調べてきて、発表して議論、哲学ウォーク、哲学対話、疑問の発表、などなどいろいろやってみる。

 

最後の振り返りで多くの人が印象深かったと言ってくれたのが哲学ウォークという活動。やってよかった。

 

 
冊子作ったのだ

そして、先日「成果物」として、みんなで冊子を作った*2

これはこれで、私の趣味も、手も、かなり加わったのだけれど、なんとか、なんとか、形になってよかった。

今日のブログは、プロジェクト学習、について熱く語る、というよりも、冊子作ったよ、私たちがんばったね、というご報告なのです。

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目次はこんな感じ。

 

担当教員より          ・・・・・・・・ 3

 

活動記録            ・・・・・・・・ 4

①課題1 「学校・教育を知る」     ・・・・・・・・・ 4

②哲学ウォークの記録          ・・・・・・・・・ 6

③課題2 「学校・教育を問う」     ・・・・・・・・・ 11

④哲学対話の記録            ・・・・・・・・・ 13

 

寄せ書き             ・・・・・・・・ 15

「学校の良いところ悪いところ」 

「学校はもっとこんな風になってほしい」

 

インタビュー ~先生に学校の本音を聞いてみた!!~

                 ・・・・・・・・ 17

   

個人ページ            ・・・・・・・・ 20

  私が学校を「嫌い」と思っているのはなぜなのか

 友達とは双方の意思の確認がないと成り立たないのか

 職員室は必要か?

 人類は今の社会を維持し発展させていくことが幸せなのか

 子供にはなぜ反抗期があり、いずれ終わるのか?

 人類は教育でAIに勝てるのか

 正しい教育は存在するのか?

 平等な教育とは

 学校の教育とは何なのか

 教育の改善

 

1~2名で、担当のページを決めて、それぞれが作成、集約、体裁を整える、という作業+1頁分の個人ページに各自なにかしらエッセイめいたものを書いてね、として、これを3日間で作ったので、かなり大変だったでしょう。

 

ちなみに、「箱庭の景色」というタイトルは表紙担当の学生さんが考えてくれたもので、学校という管理された空間を箱庭に見立ててくれたんだと思う。

 

 

なお、この冊子の作成の際には、東洋大付属京北中学高等学校さんが発行しておられる「哲学の日」のまとめ冊子を大いに参考にさせていただきました。具体的には、冊子をつくる、という話になった時に、学生たちには「哲学の日」の冊子を見せて、こんな感じかなー、と言っていたので、彼らはなんどもそれをめくり、自分たちの作るもののイメージを膨らませていました。寄せ書き、も、インタビューも、裏表紙に名言を載せるというアイデアも、学生たちが、「哲学の日」を読んで真似したい!と思ったものたちです。

ありがとうございます。ありがとうございます。

 

www.toyo.ac.jp

 

 

担当教員より

冊子では、頼まれて、私も短い文章を寄せた。あまり時間をかけたくもなくて、でもなにか言ってやりたくなって、ばあっと書きなぐった文章なのだけれど、一応載せておくことにする。なんでこんな熱い感じのこと、書いちゃったんだろう。

—学校で生きる者が学校について本気で問うということ 

 人生の大半を学校で教育を受け(教員である私の場合は教育をして)過ごしている者にとって、学校は単なる勉学の場にとどまらない日常生活の大半を占める“当たり前”の空間だ。そもそも“当たり前”について、あえて問いを発し、本気で考えることは難しい。当たり前は当たり前であるがゆえに、そもそもなにが本当に疑問なのか、気づかずに通り過ぎてしまうことばかりだからだ。 

 ましてや、そこでまさにあなたが生きている空間について問い、考える、ということは自分自身の足場をあえて掘り崩すことでもある。これは難しいだけでなくとても恐ろしいことだ。現状に大きな不満がないならあえて問う必要はないし、もし不満を抱えていたとしてもそれを声にして問うことで、多くの現状の不満をもたない者たちからは異端のものとして扱われるかもしれないのだから。日々を生きる生活の場ではそんな危険地帯へとわざわざ踏み出す必要はない。だから「だるい」「めんどくさい」と言って問題を回避し、「結局は人それぞれ」と言ってそれ以上考えることをやめようとするのだ。 

 いや、そんなことはない、すでに学校については様々な疑問や問いが日々提起されるではないか、とも思われるかもしれない。確かに、学生、教職員、保護者そしてときに学外からも、学校や教育の現状に対して疑問や改善の声は確かにあがる。だが、それらは疑問文のかたちをしたただの不満の表明やガス抜き、あるいは考えるふりではなかったか。それらのなかに、本気で問い、考えるようとする覚悟から発せられたものはどれくらいあったのか。 

 覚悟。そもそも本気で問う、ということはどういうことなのだろう。おそらくそれは自分は安全地帯にいて、無関係なふりを装って、ただ向かい側にあるものを問うことではない。(学校にいる者が学校について問うときも、そのような態度は可能だし、現に多くの学校について問う者はそのような態度である。)それを本気で問うことで、自分自身の足場もぐらつくかもしれない覚悟をもって、それでも問うことだ。でも本気で考えた先に待っているのが天国か地獄かもわからないのに、本気で考える必要などあるだろうか。 

*** 

 そして、はたしてこのプロジェクトはどうだっただろう。正直に言って、私たちはまだ本気で学校について考えられてはいなかった、と思う。そもそもだれもそんな危険へと踏み出したいと思っていなかったかもしれない。けれど、課題への取り組みのなかで、哲学対話を重ねるうちに、自分たちの“当たり前”が揺さぶられ、「これ以上考えたら危険だ、足場が崩れてしまうかもしれない」と肌で感じるような、そんな瞬間はいくつかあったように思う。この冊子のなかで読者のみなさんにその“感じ”をどれくらいお伝えできているのかは、わからない。あるいは、この冊子に現れているのは、本気で問おうとして危険を感じたがゆえに日常生活の側に踏みとどまろうとした部分かもしれない。だが、現場で共に探究をしてきた者として、「それ」が確かにその瞬間に存在したことは、ここに書き留めておきたい。 

 

なにが言いたいかというと、

プロジェクト学習、楽しいは楽しかったけど、むずかった。

 

 

 

 ちなみに、冊子はあと10冊くらい私の研究室にストックしてあるので、宇部にいらっしゃった方について先着順で差し上げております。

 

 

*1:あえて「なにか」というのは、学校からはプロジェクト学習とはどんな学びのことなのか、というものをちゃんと教えてもらっていないから、で、ここは割と声を大にして文句は言いたい。「FD」を増やそう、とか言ってるなら、ちゃんとプロジェクト学習ってこんなんだよ、って教えてくれる人を連れてきてほしい。

*2:学校としては、ポスターでも作品でもレポートでもなにかしら成果物があって、評価ができればそれでよい、ということになっている