あっという間に新年度、明けて1週間が経ったようだ。今日はお花見ピクニック。週末でリフレッシュして週明けから本格的にがんばらないと。
あったかくて桜が満開で、お酒を飲みながら横で夫はうたた寝をしていて、みんなそれぞれのシートでぷかぷか浮かぶ島のように宴を催していてその声が細波のようにやってきて、極楽とはこのことかと思う。一生お花見していたい。
— かしわ (@shuzo_shizuka) 2019年4月6日
入学式とか
新入生のみなさんご入学おめでとうございます。担任なのだ。
式での呼名やら保護者への挨拶やらHR教室の準備やら初めてのことばかりだけれど、周りに助けてもらいながらなんとか。
新入生のみなさんはこうやって待つ準備をしていると、なんだかどんどん愛おしくもなってくるもので、ちょっとした親心の発動を感じる。
昨日最初の授業日も終えてみて、実際みなさんまずはスタートを切れそうでよかった。
今年の目標とか
高専なのにほかの中高のように、3月の時点で学年目標を決めていた。
締切厳守
なんのひねりもないし、これを定める意味はあるのかと思ってしまうけど、中学校との違いを強調するときなどには学生にも保護者にも伝えやすくて、意外と悪くないかなとも思っている。
自由には責任がつきものです
みたいな言い方はあまり好きではなくて、自分から学生には言いたくない。(そもそも、自由には責任が伴うとは限らないのではと思っているし、学校なんて不自由なところで自由も責任もあったもんではない)
最初のHRでは、クラスとして、
43人全員が一年後も、「ここにいてもいいな」と思えるような空間にするにはどうしたらいいか、 一緒に考えていきましょう
と言ってみる。
とてもクサイけど、わりと本気ではある。そのための支援をしたいのだ。
本校では五年間クラス替えはない。
一致団結、はいらないけど、横の人が困っていたら助けてあげられるような感じにならないと、つらい。
担任っぽさのこと
ご存知のように私は学校とか学級とかクラスとかそういう形式に批判的な人のつもりで、そういう意味では担任とかもよくよく考えながらやりたいと思ってはいる。
いる、つもりなのだけれど、同時に、学校や学級で生きることを強いてしまっているからこそ、クラスの人たちとなんとか一緒に生き抜いていってもらわないもいけないという気持ちも強くて、最初は結構丁寧に「担任」しているかもしれない。
でもそれは、いわゆる「学級王国」とは違うし、違わなくてはいけないはずで、でもでも、それでも、担任ごとのカラーが明らかにクラスに出るであろうという予感をも、すでに感じていたりもする。
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こんなことを考えながら、花見をして、ブログを書いている。
妻にこの曲を聴かせたら、横で泣き出してしまった。