かなりコンスタントにブログが書けていたはずなのに、ここ、1、2週間はぱったり止まってしまっていた。シラバスやら試験準備やら入試やらがあったのかな。ちょっと落ち着いて振り返ってみると、なにが忙しかったのか、よくわからないけど。。*1
お客様襲来
昨日まで、二泊三日、東京から哲学対話の先輩が授業を見にきてくれていました。
食事や観光も一緒にさせてもらってとても楽しかった。
そのときも話したのだけど、インターネットやSNSが発達して、地方と東京での情報格差とかは減っているように思うけど、でも感覚としてはやっぱり東京や”東京の人たち”によって行われていることとの距離は遠いのです。
こちらはこちらで一生懸命仕事をして、実践にも取り組むけど、置いていかれているような気分にもなるので、こうやって直に足を運んでもらえるのはとてもうれしいのです。
仲間とか同僚の大事さを噛みしめる夜なのでした。感謝しかない。
— おがぢ (@ogadi_ogadi) February 22, 2019
同僚性とか
さらに、その方を囲むようなかたちで、我が校の同僚の方数名とも宴席を設けることができたのも幸せでした。同僚性は大事。社会科の枠で先生方と一緒にやってみたいことも思いついた。
他方で、こちらの同僚の先生たちもよい方たちばかりで、それには満足も感謝もしているのだけれど、自分が一番関心があるような哲学対話をベースにした教育活動、みたいな話は当たり前だけどなかなかできない。
そんななか、自分のその面を理解してくれる人がこちらのことを覚えてくれていることを確認できるのは、職場の同僚性とは違う特別な関係なのだ。
授業の悩み
授業について気になっていたことについてもヒントをもらったような気持ちになる。
どうしても自分の中で哲学対話の実践をしていて、しっくりとくるクラスと、難しいなというクラスがあって*2、それは当たり前のことなのだけれど、明らかに自分自身の話ぶりや身の振る舞い、声色みたいなものが大きく変化してしまうこと。
自分の堅いふるまいが難しいなと思うクラスの学生たちにも伝わり、それをどんどんよくない方向に助長していることを気にしていたのだけど、少しヒントをもらえたような感じがする。
こちらは手を変え品を変え、工夫をして考える場を提供しようとするし、教員っぽくふるまって場を整えようとするのだけれど、それよりも学生の考えたいことを尋ねること、引き出すことを重視した授業にすること。
当たり前すぎるんだけど、うまくいかないなと思うクラスほど、それができなくなるのです。
年度末まであと少し
明日から最後に試験。
教員も学生も納得して終えられる年度末になりますように。