もうすぐ第三学期が終わる
勤務校は4学期制。もうすぐ三学期が終わり、期末試験だ。
試験が近づくということは、成績評価が近づくということでもある。
シラバスで評価割合は明示していて、レポートや大福帳なども大きめのウェイトを占めているし、学生にもなんども周知しているので、その意味では大きなトラブルはないとは思う。
でも、評価ってなんのために、どういう風に設計するのが、先生も生徒もハッピーなのかなあということについては、あまり考えられていない。
今の私の授業と評価の仕方にはミスマッチがある、少なくとももっと適した評価がある、と思う。
試験問題も作りつつ、成績を出す前に、積読だったこの本を読みたい。
とある授業で その1
なんだか毎日忙しいなあという気がする原因は、授業のやり方をちょこちょこ変えて、悩むから。
「倫理」は前期に別のクラスでやったものをやっているだけなので、基本的には同じことを繰り返すだけのはずなのだけど、クラスごとの雰囲気や向き不向きなんかを考えながら、改良したり、変更したりを授業直前まで悩んでいる。
それが大変顕著だったのが下記のツイート。
今日は8:50からの授業なのに、8:30になって思いついたやり方を試させてもらう。急いで書いたこの手書きの図を見せて「こんな感じにしたいんだ!」と言ってみたら伝わったようで、みんな素早く教室の配置を変えてくれた。絵は上手い下手じゃない、想いなのだ。 pic.twitter.com/EPoX9hjQij
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年11月27日
肝心のワークは、要はクラスを半分に割って、片方は哲学対話、もう片方はグループワークをする、それを前後半で交代する、というもの。私の目の届かないほうは(調べ物をしても良いと言ったこともあって)どうしてもスマホをお触りになるけれど、それでも悪くはなかったのではないか。
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年11月27日
前日が宿直で、学校に泊まりながら、「明日の授業どうしようかなあ」*1とぼんやり考えながら、なにも決まらず、朝になってもしっくりは来ず、宿直を終えて研究室にいって、はたと、ツイートのようなことを思い至る、というバタバタぶり。
要は40人全員で哲学対話、といってもやっぱり円が大きいし、話しづらそうだし、ふざけちゃうし、という難しさがあって、でも単に2グループにして私が外から見ているとそれはそれで難しそうで...。
前回使っていたワークシートにグループで取り組む人たちと哲学対話をする人たちを前後半で入れ替える、というまあ普通のアイデアではあるのだけど、今までは自分の授業でそれをやろうという気持ちにはあまりならなかった。
でもこれができるなら、「金魚鉢対話」も、できるということなのだろう。
人数が多い授業で、選択肢としてあることは知っていながら、対話に参加していない人はただ暇なだけで、スマホいじっているだけなんじゃないか、と思っていたので、採用できなかったけれど、ワークシートなどを用意したり、スパイダー討論っぽい観察者の役割を担ってもらったりすればいいのだろう。*2
学生のみなさまにも、思いつきであることを正直にお伝えしながら、なんとかやっていただきました。授業後の匿名コメントで一名だけだけど「今日のやり方はよかったと思う」というさっぱりとした好評をいただいて、ホッとするような、そんな授業でした。
明日別のクラスで同じことをやってみる予定。うまくいくといいな。
とある授業で その2
また別の授業で。
3、4人のグループを作り、A3の紙で、それ以前に勉強した内容(憲法と人権みたいなテーマ)について「質問づくり」*3をしてもらう。
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
- 作者: ダンロスステイン,ルースサンタナ,Dan Rothstein,Luz Santana,吉田新一郎
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で、作った問いからお気に入りの問いを選んで、グループ内で掘り下げて考えてみてもらう。
...
ここまではよいのだけど、それを最後にどうやってシェアするか(あるいはしないか)を決めかねていて、授業に突入。
残った時間の少なさなどとの兼ね合いも考えて、たどり着いたのが、「全員ペンをもち、立ち上がり、自分以外のグループの問いと考えを見て、空欄に疑問、コメント、反論を書き込もう」というもの。
やってみるとなんだかとてもいい感じ。拙い指示ながらも、ちゃんとみんな立って、他のグループの用紙を覗き込んでいるし、何人かで一緒に見て楽しそうに話したり、順番に書き込んだりしている*4。
そもそもこういうワークに乗っかってくれる学生が多いクラスだという感じはあって、それで思いつきのチャレンジもやってみようという気になったので、学生の力に助けられているだけではあるのだけど、それでもとにかく一回やってみたことで、今後もっと改良して、自分のものにできたらいいなあと思うのでした。
......
しかし、やってもらってみて思うけど、これは研修とかワールドカフェとかでやる(やらされる)、グループでの話し合いのあと、歩き回って他のグループの話を聞くとか、模造紙見に行くとか、のあのまんまではないか。
もちろん楽しいこともあるのだけど、一方で「うさんくさいなあ」「だるいなあ」と思いながらやっていた(やらされていた)アレを自分が再生産するという、見事なFDの成果なのでした。
放課後哲学対話の会をまたやりたい
3Q終わって4Q始まったあたりで、放課後の哲学対話の会なんてどうでしょうか。お菓子を持ち寄ってクリスマスパーティーを兼ねる、という。#高専てつがく
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年11月27日
夏頃に2、3度仕掛けてみた、放課後有志での哲学対話の会。
別にこちらの負担はほとんどなくて、その時間に研究室で待っていればいいだけなので、またやりたい。
学生さんたちとしては、他のクラス、他の学年のだれが来るかわかんない状況で、放課後は部活やらバイトやら忙しいなか、わざわざ行くか?という感じかもしれないけれど、ゆるゆると場を持ち続けることは重要なのではないか。
よし、やるぞー!
「おがぢ研究室は保健室みたいだ」と学生に評していただき、とてもよい褒め言葉だと思いました。
— おがぢ (@ogadi_ogadi) 2018年11月19日
*1:念のため言っておきますが、本当になにも決まっていないわけではなくて、前回までの下準備があって、さあそれをどうやってシェアして、対話して、考えていこうか、という悩みです。シンプルに全員を円にして「哲学対話するぞ!」だとクラスによっては楽しくなさそう、と思ってしまって悩むのです。前日の夜や当日の朝まで完全な無計画なわけではないです。
*2:某妻が昨日某県の高校での哲学対話の取り組みを見学に行っていて、その話を聞くと、1学年まるまる大教室に集めて、生徒数人と実践者とで20分くらい対話のデモンストレーションをしてみせたらしい。大勢の生徒は人の対話を見ている、という状況。妻曰く、それがとてもよかったのだそう。(そのあと各クラスに分かれて全員が哲学対話を体験するのだけど、デモンストレーションがあったからクラスごとの対話もうまくいっていた)「対話を外から見る」こと、ちゃんと自分の授業にも取り入れたい
*3:よくないなあと思いながら、自分なりにアレンジしたワークシートを作っている